僕らの嫌いな話2

梅雨の晴れ間/紫陽花の話

梅雨の晴れ間

「あ」
「……無視するなよ後輩」
 拾われた翌朝、駅で先輩と目が合った。軽く会釈だけして改札を抜けると、襟の後ろを引かれた。
「……すんません」
 よろめいた先で先輩の胸板にぶつかる。そのまま見上げると、先輩も俺を見下していた。
また真顔。少し怒っているのかもしれない。

「名前は?」
「は」
「聞き忘れてたから。教えろ」
「浜中真昼っす」
「真昼?」
「はい」
「ふーん。……相沢唯人」
「……知ってます。相沢先輩は有名っすから」
「あっそ。」
襟から手が離されて、ぬくもりも背から消える。そのまま数歩あるいた先輩は唐突に振り返った。
「……真昼、スマホだして」
「はあ」
 つかめない人だ。別に無視したわけではないけれど、無視したような形になって不機嫌なのかと思ったら、どうやら違うらしいし。いきなり自己紹介を始めて、次はスマホとは。戸惑いつつもスマホを差し出せば、先輩は顔をしかめた。

「ロックかかってるんだけど」
「あ、すんません。2002っす」
「……あんま教えない方がいいぞ?」
「……はあ」
 確かに、それはそうだ。いつもなら教えたりなんかしない。警戒心が緩んでいたことに自分でも驚いた。先輩はまじまじと俺を見つめている。これも真顔だ。真顔だとその整った顔立ちがひと際目立つ。ほんとこの人鼻筋通ってんな。
「……まあいいや」
先に顔をそむけたのは先輩だった。しばらく下を向いて、俺の携帯を操作する。
「はい。……ラインと電話番号入れておいたから。」
 ちゃんと反応しろよ、と腕を振って先輩は先を行った。
 どうやら登校は別らしい。基準が謎だ、とその後ろ姿をぼんやり眺めた。空はすっきり晴れていた。
                   *
 「……ダーリンって」
 教室、自分の席で携帯を見たら、知らない連絡先が確かに一つ増えていた。ラインはともかく、電話番号はダーリンで登録されている。しかも丁寧にダーリン(相沢唯人)と名前も併記されている。やっぱりお茶目な人だ。



 黒猫を見かけた。逃げようとするから首を掴んでやったら大人しかった。思ったよりも警戒心がない。分かりにくいが人懐っこいタイプなのかもしれない。突然じっと見つめてくるのは何のつもりなのか。とりあえず、ダーリンと呼ばせてやることにした。

 


紫陽花の話

 瞬く間に六月は過ぎていった。六月の間に俺と先輩は何回かラインのやりとりをして、たまに一緒に帰った。先輩は人気者だからか、そんなに頻度は高くなかったけど、くだらない話が出来るくらいには気を許せた。俺と先輩は乗っている電車が同じわけだが、正確には乗換駅も同じだった。先輩的には同じ駅から乗り換える見たことない生徒、ということで四月の早い段階から俺の存在には気付いていたらしい。後から聞いた話だけれど。

 一緒に帰る日は大体先輩からのラインが来る。帰る、というただの連絡程度のメッセージだから最初は戸惑った。そうなんすね、と返信したらいきなり電話がかかってきて、「真昼も来い」とだけ言って切れた。それ以来、俺はラインの通知をきちんと確認するようになった。いつまた帰る、というメッセージが来るか分からないから。そんなわけで俺は先輩相手のラインには速攻既読を付けることになった。

 その日はもう七月に入っていて、でも梅雨空けはまだで、しとしと雨が降っていた。俺と先輩は傘を並べていつも通りの道を歩いて帰っていた。道端に緑色の紫陽花を見て思い出した俺は先輩に声をかけた。

「先輩」
「ん」
「紫陽花見に行きません?」
「紫陽花?いいけど、なんで」
「そろそろ枯れちゃうじゃないすか。紫陽花の写真撮りました?」
「いや」
 覗き込んだ先輩の目はぱちぱちと瞬いていてどうやら驚いているらしかった。目線が合うと、少し唇の端が上がる。綺麗な孤を描くそのゆるりとした笑みが好きだ。余裕たっぷりで、こういうのが色気のある笑みというのか、と感心すらしてしまう。
「撮っておいた方がいいっすよ、俺いつも梅雨本番に紫陽花見るの忘れちゃうんすよ。だから綺麗に咲いてるところ記憶に無くて」
「まあ、傘さしてるし」
そう返した先輩は既に真顔で、ちょっと残念だった。
「っすね。だから余計に周り見にくいんでしょうね」
「……じゃあ撮りに行くか」
「……んじゃあ、いいところ見つけたんでそこでいいっすか」
「ん」
「あ、一応乗換駅の近くなんすけど。大丈夫っすか?」
「定期あるし平気だけど」
「なら良かったっす」
 駅まで歩きだす。着実に、少しずつ。

 いいところ、といっても大したことはない。乗り換え駅の改札を出て少し裏道に外れたところに公園がある。昔トロッコが走っていたとかで、長く続く緑道公園だ。入口から少し入ったところが紫陽花の群衆地帯だった。道の両端数メートルに渡り紫陽花だけが咲いている。

「ここっす。赤、青、紫全部見れるんでいいなと思って」
「確かに。……確か地面の㏗の関係だったっけ」
「あー。酸性だと青、みたいな話っすよね」
 写真撮るなら傘持つっすよ、と提案した俺に先輩は軽くうなずいた。自分の傘を地面に置いて、先輩の傘を受け取る。前に入れてもらった大きい黒の傘だ。
「よく知ってるじゃん」
 くしゃ、と頭を撫でられた。ほんの少し頭にかかる重みは心地よくてあたたかい。
「朝顔とかだと逆なんだな、これが。俺昔、知らなかったんだよね」
 かしゃかしゃ、と先輩が写真を撮る音がやけに遠く聞こえる。そのくせ雨の音は近い。頭にたった数秒のせられた重みが忘れられない。手が離れたあともしばらく、俺は頭をなでた先輩の掌の感触に支配されていた。




 黒猫が珍しく誘ってきた。いつも俺から帰りを誘うわけだし、面白くなかったがどうやら飼い主の機嫌を回復させるのは得意ならしい。定期的にじっと見られると気分は悪くないし、頭を撫でたら若干頬を染めてぽーっとしだした。紫陽花なんて興味はなかったけど、インカメで撮った猫は悪くなかった。その背景としては綺麗だった。本当に、悪くない。
 


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