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小声コラム#23 3.11

今年も3.11と検索すれば寄附になるアレの告知で、震災から10年経ったことを知った。

今でも鮮明に覚えている。
当時僕は高校2年で、その日は部活の練習試合で学校にいた。
まだガラケーだったけど、すぐにニュースで知った。練習試合はなくなった。

家のテレビで何度もみた黒い波が押し寄せる映像。学校の全校集会でも大きな画面で見た。

何もできなかったし、しなかった。
情けないとは思いつつも、無力を受け止める他なかった。

先月、関東でわりと大きな地震があった。
阪神淡路大震災のときはまだ0歳だったので、記憶にあるなかで、いちばん大きな地震だった。

怖かった。本当に怖いと思った。
このあとまた揺れたら、なんて思うと全然落ち着けなかった。

それと同時に、もっと大きな揺れを経験して、生活も壊れて、大切な人も失くして、という方たちがどれだけ怖かったか、苦しかったのか思うと、とても計り知れないものだった。

また、いつまで続けるんだろうって思う、という被災者の方もいるのだと知った。
もうそんなに掘り返したくないという気持ちらしい。

たしかに毎年、3.11の検索を促すのも惰性を感じなくはない。ただ検索してすぐ離脱という人も多いだろう。
何だかそういった空気で、思い出させられるのは少し虚しい気もする。

だから、検索して過去を思うことと、未来を考えることはセットにしなければならないと思う。

先月の地震の翌日、何も変わらずに過ごしている人を見て不思議な気持ちになった。
それが普通。普通にみえるのが普通のこと。

これを機に地震への備えをしたかわからないし、大切な人と連絡を取ったのかは、他人にはわからない。

だからせめて、自分は自分のために未来にできる備えをする。それかできない。

依然として無力で情けないが、
まずは自分を守ることをきちんと考えたいと思う。


#23 3.11

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