小声コラム#20 まずは書いてみたらいい

noteにコラムを書き始めてから
書くこと と 読まれること
読まれるこ と と思われること
思われること と 思うこと

そんなことをよく考えるようになりました。
何を言ってるんだって感じですよね。ちょっと噛み砕いてみます。

noteに書くと少なからず誰かが読んでくれます。
noteはダッシュボードを見れば閲覧数がわかるので、全く読まれていないってことはないと思います。(開いても読んでない人もいると思うけど。)
別にそんなネットの数値化特性はどうでもよくて、何が言いたいのかと言うと
誰かに読まれる可能性が高い場所に、自分の一部を晒している前提であるってことです。
誰にも見せない日記やメモではなく、誰かに読まれるメディアに書いているわけです。


となると必ず読み手が存在するので、
読まれるために書く意識が多少なりとも生まれるものだと思います。

そうなってくると、
・たくさん読まれるものに価値があるのか?
・たくさん読まれる文章とは?
・うまく伝わる文章とは何か?
・そもそも上手い文章とは何か?
みたいな価値意識が強まります。(承認欲求と結びついているので強い)

上記のような疑問の答えを探そうとすると、
クリエイティブ・ディレクターや編集者を名乗る人間が
・読まれるためには〇〇をせよ!とか
・仕事につながる〇〇を書こう!とか
という記事や書籍を書いていたりします。そしてそれらを拝読すると、
読まれること と どう思われるか を設計することに重心が移行していきます。


そこで僕は思うのですが、書き手はこれらを
今、本当に参考にする必要があるのか を考えるべきではないでしょうか。

クリエイティブ・ディレクターや編集者って声がでデカいです。
それは正論をうまく言い当てるって意味での声のデカさです。

正しい主張はビジネス視点が些か強すぎるような気がします。
"上手い文章"という括りで書かれた本が、ライターのハックだったり
"伝わる文章"という括りで書かれた本が、読み手のベネフィット視点だったり
それらは"正しい"ので勤勉な日本人には相性がよいのかもしれません。

でも、頭の中にある漠然としたモノを頑張って書き殴った散文やエッセイだって立派な文章です。正しい書き方で一括にされると、自由に書いている本人が何か正しくないように見えかねないという可能性を含んでいるのではないかと思います。

決してビジネス視点のある書き方を否定しているわけではないです。
結局、何を伝えたいのかというと
誰しもが書きたいことを、堂々と書けばいいんだと思うのです。

書くことのハードルを自分で上げないで、好きなことを好きなように書いてみる。
真っ白な無地のこの画面に向かって、出てくる言葉をそのままに綴ってみる。

上手く意見をまとめなきゃとか、伝わるように文章を構成しなきゃとか
そういうのは一旦忘れて書いてみたらいいと思います。

そうやって書き始めてみると、
なんか思ってることと違うなあ。もっと上手く言いてえなあ。
ってことが自然と生まれてくるときがあると思います。
そのもどかしさを感じて初めて、クリエイティブ・ディレクターや編集者の知恵の必要なところだけ盗んでみるのが正しい順序ではないかと思うのです。
その方がレベルアップ感があって楽しくないですか?


だからまずは、書きたいことを思うままに書く。
(書きたいことがなければ、書きたいことがないことを書く。)
読んでくれているあなたにも、書いていくこれからの自分にも、書くことがしんどくならないように。ここらでそう断言しておきます。

書くことは、誰にとっても心地よいコトであってほしいのです。


#20 まずは書いてみたらいい

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