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秋尾沙戸子「ワシントンハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後」/昔そこにあった凄まじい格差

ワシントンハイツ、という言葉を、恥ずかしながら、ついこの間初めて聞いた。今の代々木公園からNHK本社にかけてのあたり一帯は、戦後日本人が立ち入ることができない、フェンスで塞がれた、アメリカ人のための街だった。その街の名を「ワシントンハイツ」と言う。

「ワシントンハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後」は、そんなかつて存在し今では跡形も無くなった町についてを、かつての住人や周辺で暮らした人達に聞き、その証言をまとめたノンフィクションだ。
第1章にはワシントンハイツ周辺の戦時中のエピソードが書いてある。今やブランド店が立ち並ぶ表参道は東京大空襲でやけに焼け、翌日は死体が街に積み上がった。明治神宮に逃げ込んだ人は死に、青山墓地に逃げた人は助かった。よく行き来する場所にそんな歴史があったことにただただビックリし、そして全て焼けてしまって富士山までよくみえるような、そんな焼野原に、戦後間もなくワシントンハイツが出現したことの衝撃が、私にも何だか分かる気がした。

物資不足で燃やされた町の復興が一向に進まない中、いちばん先にできたのは周囲を地獄絵図にしたアメリカ人のための街だったこと、しかも1日平均接種カロリーが700kcalと国民全体が栄養失調気味の生活の中に、恰幅の良いアメリカ人達の家が約900世帯もでき、豊かな暮らしぶりがうかがえること。それは生き残った人たちにとって惨めな「格差」だったのだと思う。
一方で物心ついた時には戦争が終わっていた子どもの身になってみればワシントンハイツは最初からそこにあった憧れの対象でしかないのもよく分かる。いつかあんな暮らしがしてみたい、そんな気持ちでアメリカと日本の「格差」を眩しく思い、そしてそれがそんな子達の親世代とのアメリカに対する思いとは、全然違っただろうことも想像がつく。

ちょうど終戦間際に20代で、ワシントンハイツ周辺に住まいがあった加藤周一や三島由紀夫の本を最近読んだ。
ワシントンハイツのことを知ると、彼らの文に出てくるアメリカに対する複雑な思いをよりリアルに感じることができる、そう思う。


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