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映画「パリのアメリカ人」と私が本当に好きなもの

最近自分の「好き」を深掘りする中で

・私が本当に好きなもの
・「好き」だと「好きな人たち」と話が合うもの

の2種類あるということに気が付いた。たとえば「エヴァンゲリオン」は後者。よく考えると友人たちとの「エヴァ」の話題についていきたいが故に嗜んでいた。

一方でアメリカの1950年代から60年代にかけてのミュージカル映画、これは身近にこの良さを語らう友達がいる訳でもなく、ただただ「自分が好きなもの」と自信をもっていえる。
特に「パリのアメリカ人」のラスト20分弱のダンスシーンは、何十回と繰り返しみた。

ロートレックの絵画が動きだすような演出、特に動き出すまでの絵画そのものな「静」に毎回驚き、動き出した後の華やかさと見事さに目が釘付けになる。
ただこのシーンを好きないちばんの理由は、その設定にある。これはジーン・ケリー扮するジェリーが、好きだった女性が自分の友達と結婚すると知り、半ばやけくそになって参加したパーティの最中に、お互いパートナー連れで再会、いたく傷つき、自分の理想を夢想するシーンなのだ。「悲しい」をこんな華やかに表現できるということに、私は希望をみる。

同じように映画「美女と野獣」では、野獣が好きになった少女ベルの意志を尊重して、自分のもとを去ることを許し、その後彼女の不在を嘆くシーンがある。

彼女を愛することができないなら、自分の人生にどんな意味があるのか、と嘆くシーンなのに、めちゃくちゃ力強い。「絶望」がこんなにも力強く、そしてこんな美しい歌になるなら、「絶望」が少し怖くなくなる。

逆境にあった時、それに立ち向かうような強さが好きだ。ミュージカル「ウィキッド」でも、信じていた王様に裏切られ、窮地に追い込まれながらも、エルファバは呪いの言葉を吐かず「重力(権力)に打ち勝ってみせる」と力強く宣言する。

映画「ラブレター」は、自分の死んだ婚約者の過去を追う物語。そして彼には自分に似た初恋の人がいて、そのせいで自分に惹かれたのではと深く傷つく。そんな中、婚約者が遭難して死んだ山に向かって、「お元気ですか、私は元気です」と叫ぶ。

全然元気じゃないのに、だけど力いっぱい叫ぶ。このシーンも毎回みるたびに、泣いて、そして元気をもらう。

人生の苦しいフェーズを乗り越える手段として負の気持ちを吐き出し自分を浄化するやり方と、それをエネルギーにして前へ進むやり方がある。私は後者、圧倒的に後者。だから、自分を主人公達が果敢にそれを乗り越えようとする背中に共感し、励まされ、勇気をもらう。それが「私が本当にすきなもの」の源なのだなあ、そう気が付いた。

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