「未来のために今を犠牲にしない」に纏わるエトセトラ

「未来のために今を犠牲にしない」。

コルクラボの合宿中に受けた山田ズーニーさんのワークショップで、あなたのことをひとつだけ紹介するとしたら、と言う課題で選んだのが、この言葉だ。
この言葉を私は今までに何度と口にして、文章にもして、すごく私らしい言葉だと感じていた。この言葉に則って、私はいつもやりたいことをやる。もう40を過ぎていても、子どもがいても。そんな私の生き方に勇気をもらうと、声をかけてもらったこともある。

この言葉を噛み締めたのは、4年付き合い、14年間結婚していた元夫と別れた日のことだ。元夫は子どもが欲しかった。ただ私は、子が産まれたら私が仕事をセーブし、家庭に軸足を置く、そう望んでいた彼と一緒に、子育てをするイメージが沸かなかった。

約1年の別居生活を経て、離婚届けを出した。そして思ったのだ。 これからは未来のために今を犠牲にしない。 後先を考えず、今を生きるのだ、と。

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ただズーニーさんのワークショップを通じて呼び起こされたのはもうひとつの記憶だ。産むのか産まないのか、いつまで経っても決断できなかった日々のこと。

結婚した時は、彼が望むように、子が産まれたら家庭に軸足を置くのが当たり前だと思っていた。なのに一向にそうしたいと思える日が来なかった。そればかりか出産のリミットが近づいてくるにつれ、気分がとても重くなった。家に帰るのが苦痛になった。

そのくせ、取り返しのつかないことをしようとしているのではないかとふとした拍子に足がすくんだ。鏡にうつる自分は、未来にたいそう怯えていた。

そう、産む未来も怖かったけれど、産まぬ未来も怖かった。

だから離婚届けを元夫に託し、彼が出したよと連絡をくれた日、思ったのだ。これからは未来のために今を犠牲にしない。 後先を考えず、今を生きるのだ、と。

「未来のために今を犠牲にしない」。

それは思い通りに生きる代償として受け入れた、不安な未来をはねのける言葉。私が何度も自分に言い聞かせることで救われた、祈りの言葉だったと気がついた。

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