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2019/5/20 雨の日に纏わるエトセトラ

私が今の彼と出かけるようになった時は「恋人」ではなく「友人」としてであって、だから雨が降って、私が傘を持っていないから、それで彼が持ち歩いていた傘に入れてもらうような時、距離感にずいぶん気を遣った。私は彼と友人以上になりたい気持ちと葛藤していたし、彼は友人以上にならないよう腐心していた(想像だけど)。

私達は年が9つも違って、しかも私の方が上で、そして彼は独身で私はバツイチだった。愛があれば年の差なんて、過去なんて、と盲目的にはなれなかった。踏み込もうと覚悟を決めたと思った次の瞬間にその行為は無謀で、無謀が故に滑稽なように思えて、とはいえ距離をとろうとすると、千載一遇のチャンスをみすみすふいにするようで惜しくなる。

とある雨が急に降った日、傘を持ち歩きなよと彼に窘められ、とはいえ私だけ濡れるのは体裁も悪く、しぶしぶ(想像だけど)彼は半分傘を差し出した。「友人」としての距離感を保とうとするから、そして彼の傘は決して大きくないから、私の半分側の肩はずっしりと濡れた。

自分で距離をとっておきながら、だけど半分は受け入れてもらえているけど、半分拒絶されているような、そんな心持ち。「雨」が彼の私への気持ちを露骨にさせたようで恨めしくて、そんなことを思い出した今日の雨。

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平中悠一「シーズ・レイン」
かつて作家になりたかった私はこの作品を17歳の平中悠一が書いたことに嫉妬しそうなものなのだけど(綿谷りさが芥川賞をとった時は嫉妬しかなかった!)この作品はあまりにも私が望んでいた高校生ライフが書かれていたから「嫉妬」よりも「羨望」を感じた。
この本に出てくるユーイチやレイコのようにお酒を飲みながらジャズやクラシックを聞いて、そして文学作品や古い時代の映画の話をすることに当時の私は死ぬほど憧れた。現実はジャズやクラシック、文学作品の話ができるヒトはユーイチやレイコのように魅力的ではなくて、結局流行りの音楽や漫画を好むヒトと一緒にいることを選んだ。

だいぶ大人になってから、文学作品を、クラシックを、ジャズを語る魅力的なヒトと出会うようになって、そんな時にきまって、10代の時にこのヒトと出会えていたら「シーズ・レイン」の一幕のような、そんなことが私の身にも起こっていただろうか、と少し口惜しい気分になるのだった。


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