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皆「誰か」の手間暇の結晶だということ

おかげさまでめでたく母子ともに健康な状態で出産することができ、出産翌日から「子育て」が始まった。まず驚いたのは、産まれたばかりの子の非力さだ。

一度に摂取できる栄養の量が極端に少ない。生後1日目は1度の食事で10mlのミルクだけ。当然それではすぐにお腹が空くから2時間おきに栄養を与えた。2時間おき、といっても10mlを飲ませるのに30分かかり、寝かしつけにも同様の時間がかかった。だからその日はほぼ1時間つきっきりで世話をし、それでようやく1時間寝るという案配。そのループが1日中続いた。

生後2か月になろうという今はまとまって栄養が取れるようになり、一度に寝る時間も伸びた。それでも壮大な手間だ。犬や猫の子は1ヶ月生き延びれられれば後は自力で何とかできる。人間の子は1ヶ月後に捨てられたら、確実に死ぬ。

人間の始まりというのはずいぶんと脆い。そして「誰か」の圧倒的なgiveによって成り立っている。今生きている大人はみな「誰か」の手間暇の結晶だ。「誰か」が手間をかけなければとっくに死んでいた、ということを、自分の子に手間暇をかけながらひしと感じる。

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