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ヴェルコール『沈黙のたたかい』/戦争反対?本当に?

戦争反対、という言葉に違和感を感じるようになったのは、中学生の頃だ。小学校の時に「ヒロシマのうた」という教材を3か月ほどかけて読み説く国語の授業を受け、その時点では戦争はよくない、戦争反対、という思いを強く持ったのだけど、その後歴史の授業で、圧政から脱却するきっかけたいていは「革命」「一揆」であること、しかもそれは歴史上、必要不可欠だった出来事と書かれているように思い、いったいそれは「戦争」と何が違うんだ、と思うにいたった。
また泥沼だったユーゴスラビアの内戦がNATOの参戦によりカタがついた時も、武力を行使することは必ずしもネガティブなことばかりではないんじゃ?と思うようになった。その思いは昨今のウクライナとロシアの戦争と、そして今回ヴェルコール『沈黙のたたかい』を読んだことでますます強くなった。

ヴェルコール『沈黙のたたかい』は第二次世界大戦中、ナチスドイツ占領下のパリで「深夜出版」という地下出版社を立ち上げたヴェルコールの、戦時中を振り返った回想エッセイだ。ヴェルコールは第二次世界大戦前、画家を夢見るグラフィックデザイナー、そして平和主義者だった。第一次世界大戦を彼はこう捉えていた。

あのおそろしい戦争によって一般人民はだまされたのであり、本来理解しあえるようにつくられた人々が、おたがいに殺戮しあう結果になったわけだと。私はドイツ人を愛するようになり、彼らに不正をおこなわせたのはフランスの世論のせいであると考えるようになった。それまでドイツ人の悪い面しか見ていなかった私は、ロマン・ロランや、エドモンド・ヴェルメーユの書物をとおして、ドイツ人の美点のかずかずも知るようになった。
ヴェルコール『沈黙のたたかい』
私は元来、戦争を政策の一手段とみなすことには反対しつづけてきた。暴力にたよるまえに、あらゆる外交手段の可能性をためしてみるべきだと思っていた。私は「大砲一発をうつこともいけない」と考えている絶対平和論者の一人だったのである。
ヴェルコール『沈黙のたたかい』

ところが第二次世界大戦が終戦し、25年後にヴェルコールが思ったのは、それとは真逆のことだった。

一九三三年、ナチスがドイツで警察国家をつくるという最初の罪をおかして以来、それまでの平和維持政策を否定し、犠牲者の血をもってしても平和はあがなえぬものだとさとった勇気がある人たちが出てきた。残念ながら私はその人たちのなかに入らなかった。ただ今日になって、その人たちの賢明な洞察力に、自責の念とともに敬意をささげる次第である
ヴェルコール『沈黙のたたかい』

なぜこのように考えが変わるにいたったか。それはヴェルコール『沈黙のたたかい』を読むことでよく分かる。フランスはナチスドイツに降伏したことでつかの間の「平和」が訪れた。そんな「平和」な日々で、私がもっとも嫌だ、と思ったのは、かつて親しかった、尊敬していた人たちがどうナチスドイツと対峙するか、を絶えず目撃し、そして自分はどうするか、を考えつづけなければいけないことだった。ドイツ軍に媚びを売るような、そんな文化人達をみて憤りを感じ、かといって正面を切って抵抗する人たちが捕らえられ、処刑されていくのをみているだけしかできない、そんな日々。確かに空襲に怯えることはなく、非ユダヤ人でさえあれば、そしてドイツ軍に反抗さえしなければ、生命の危険を感じることはない。ただそれは果たして空襲に怯える毎日よりマシなのか、というと、私にはそう思えなかった。

たとえば北海道にロシアが攻め入ってきたとする。平和のために、戦争を終結させるために、北海道はロシア領ということにして、そのかわり本州には攻め入らないという条約を結んだこととする。北海道に居住していた人はシベリアに強制移住させられる。ただしもう、砲撃に怯えることはない。

「戦争反対、ウクライナはロシアに譲歩せよ」というのは、たとえば現在、激しい攻防が繰り広げられているマリウポリをウクライナは諦め停戦した方が、と進言するのは、そういうことなんじゃないだろうか。もし今自分が、マリウポリに住んで、シベリアに強制移住させられる側として同じことを思うのであれば、それは確かに戦争反対、なんだと思う。
が、もしそうでないのだとすれば、なんてひどいことを、と私は思う。


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