「お金を稼ぐこと」が苦手だし、「没頭」もできない人は生きていけるのか。

幼い頃から「節約」することが大好きだった。

我が家にはお小遣い制度が無かったので、
たまに親戚の家に行ったときにもらえるお金が
自分の収入源だった。

節約の究極は「使わない」だ。

わたしはお菓子を買うことも、
読みたい本を買うことも、
おもちゃや服を買うこともせず、
ただただ貯金をしていた。


大人になって分かった。
わたしは元来、

お金との付き合い方が下手くそ

な人間だったのだ。

お金を使うことも、
お金を増やすことも、
下手くそな人間。


そんな人間がこんな記事を見つけた。

この記事を読んでほしいのは、私のようなお金が欲しいと思っているのに、「やりがい」「自分の強み」など色々考えてしまい、「まずは〇〇しないと」と脇道にそれがちな人であり、

この記事でいいたいことは、我々は端的に言って、お金を稼ぐ才能はないということであり、

そしてお金を稼ぐ才能がないことを認め、あきらめて、「お金はついでに稼ぐもの」と捉えなおそうという提案をしたい。

そして実はお金を稼ぐことに興味がないほうが、最終的には得かもしれないという結論に導きたい。

結論に至るまで、
なんどもボディーブローをくらったかのような衝撃だった。

✔︎やりがいや才能はお金を稼ぐことに直結しない
✔︎お金を稼ぐ才能が無いことを認めよう
✔︎お金稼ぎはついで

「やっぱり自分にはお金を稼ぐ才能は無かったんだ!」そう思えた。


ところが、最後、

お金を稼ぐことに夢中になれない我々は、まずお金に代わる「没頭できる何か」を見つけなければならない。

こう書かれていた。


「没頭できる何か」

その何かに出会えていないこと、
そもそも何事にも没頭できないこと

わたしの一番の悩みだ。

熱しやすく、冷めやすい
広く浅く
飽きっぽい


何かにハマってキラキラしている人たちが羨ましい。

好きなものはたくさんあるけれど、
じゃあそれにお金を使おうか
時間を使おうか
自分でも作ってみようか
…そうは思えないのだ。


その上、こちらの記事では

今の自分が思う最も尊い働き方はこれだ。
この目の前の相手に価値を提供することに没頭する働き方なのだ。

と結論づけている。


ハマれる「何か」を見つけるのではなく、

「目の前の相手を喜ばせる、楽しませる、満足させること」にひたすら没頭し続ける。

それが尊い働き方だと。


とてもよく分かる。
納得できる。
その通りだと思う。

お金を稼ぐということは
他者から感謝されるということと同じ。

人の役に立つ、
人がやらない、やりたくない
困っている、できないことをやる。
してもらって嬉しい、感動することをやる。

その対価にお金をもらう。
これがお金を稼ぐということ。

対価がお金じゃなくても、
価値を提供して代わりに何かを得られたら、
それは立派な働くということ。


でも、それができていない人は…?


「お金を稼ぐこと」が苦手で、
何かに「没頭」することも、
誰かを喜ばせることに「没頭」することもできない人は

これから生きていけるの?


自分が自分のことしか考えていない
器の小さな人間で
自己中心的な人間に思えてならない。


目の前の相手を喜ばせる、楽しませる、満足させる、「目の前の相手」が、手の届く範囲、「我が子」で手一杯。

心底、お金を稼ぐ才能の無い人間なんだろう。


でも

わたしは幸せだ。

今は育休中で働いておらず、
毎日家事と子育てに
ある意味「没頭」している。

収入は育児休業給付金が毎月入金されているけれど、ほとんど引き出したことはない。

今までの貯金と旦那の収入で生きている。


この生き方が
本当に幸せ。

毎日朝日と共に起きて、
空気が美しい時間に掃除をする。

毎日少しの運動と
見たい映画やアニメを見て、
膝の上で眠る我が子を見ながら
noteを書いて、
天気のいい日は子どもと散歩をする。

湯船につかってお風呂に入り、
子どもが一人で寝てくれた日は
夜中に旦那とパーティーといって
お茶会をする。

眠る前に読書をして
子どもの温もりを感じながら眠りにつく。


もちろん、毎日子どもは泣くし
夜もぐっすり眠れないし
ご飯も歯磨きもトイレもできないこともあるし
身体中痛い。

辛くないかと言ったら嘘だ。

でも自分の人生で
こんなに幸せな日々があっただろうかというくらい、今が幸せなのだ。


育休明けに仕事に行くことを考えると胸が苦しくなる。

「仕事」が嫌なのではない。

通勤や、職場の人間関係が憂鬱で仕方がない。

モチベーションの低い環境で働くことも、
人生の時間の無駄に感じて気持ちが萎える。

かといって、在宅で仕事をしたいという気持ちにもなれない。

少なくともライティングの仕事は
ちょっとかじっただけだけど
コスパが悪いなと思うし、

何か商品を作って売るとか
店を持つとかいう気持ちにもなれない。


それでも生きるためにはお金が要る。

お金を稼ぐことに興味を持たなくても
多少のお金は必要になる。


理想は何もしなくても
毎月10万から15万円の収入があること。

でもお金を稼ぐ才能が無いから
今の職場を続けるか
パートやバイトをするのが
自分には合っているのだろう。

最悪、旦那の収入だけでやりくりできるように戦略を立てるのもいいのかもしれない。



「お金を稼ぐこと」が苦手だし、
「没頭」もできない人は、

お金を稼がなくてすむ人生を歩んではだめですか?

専業主婦もいい。
ヒモやニートでもいいじゃないか。

それで目の前の相手が喜んで、楽しんで、満足してくれたら。(迷惑だったらダメよ。)


多分、世界にはわたしみたいに
生まれつきお金を稼ぐことができない人
がいるのだ。

それでも生きていくためにお金が必要だから、無理して働いている。

今までの教育費を取り戻すため、
親に恩を返すため、
自分の人生は正しかったと思いこむため、
プライドのため、

自分をすり減らして生きている。


今までわたしは
専業主婦にはならない、一生ワーママでいる!と思っていた。その方が「自由」だと思っていたから。

でも専業主婦やヒモやニートは誰かに頼っているから、依存しているから不自由なんじゃなくて、その生き方がその人にとっては自由なのかもしれない。

誰かを幸せにしているのなら、その生き方は尊い。



「お金を稼ぐこと」が苦手だし

「何か」に没頭もできないし
「誰かを喜ばせること」に没頭もできないので、

手を伸ばせば届く距離の
目の前の相手を幸せにして

お金を稼がなくてすむ人生を探すんだ。



具のない🍙まき子(@makicome1986

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