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Perch.のお手紙 #125

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金曜日のよる、いかがお過ごしでしょうか?


今、空港に向かう電車の中でこれを書いているところ。


10年くらいほったらかしにしていて、けれども機会ができたらいつかまたチャレンジしたいとずっと気になっていた英語の勉強をバンクーバーでほんの少し。


最近お店でお取り扱いを始めたクラフトビールのブリュワリーがたまたまトロントのものが多いので、ついでに(という距離では全然ないけれど…)少し立ち寄る予定。


人生の節目をなんとなく10年単位で考えているので、30代の棚卸しをして、40代から50代への10年間のことを考える時間をどこかでまとめて取りたいな、とずっと考えていました。


コロナの影響でプラス2年の誤差が出てしまったけれども、先日税理士さんと2022年度の会計まわりの振り返りを済ませて、少し気持ちがすっきりとしたので、このタイミングでお休みをもらうことにしました。



私はこの人の気持ちがわかる(ような気がする)、私の気持ちをこの人はきっとわかってくれている(ような気がする)。


これをしたらみんなに、あの人にどう思われるだろう、これをしなかったらみんなに、あの人にどう思われるだろう。


その気持ちが分からない自分は普通じゃないのかもしれない、なんで(こんなに普通の)自分の気持ちを分かってもらえないんだろう。


意識することもできないくらい自然に、何かを考えるとき、誰かを考える時、深いところに流れているこの感覚。


思いやること、にとてもとても支えられていることがあるのはよく理解している一方で、この無意識が私という個人が考えたり感じたりしてることを、靄の中に隠してしまうことがある。


それが日本ならではの文化的な背景によるものなのか、それとも私自身の特性によるものなのか、私は日本人以外にも、私以外にも、なったことがないから分からないけれど。


そういった感覚から遠く離れて、本当の意味で、私が一個人だけのことを考えて、のびのびと深く呼吸ができる方法は、今のところ海外で過ごす時間の中にある。


緊張はするし、困ったり思うように行かないことも必ず起こるし、お金もかかるし、なんならちょっと面倒臭いくらいで、疲れるし、できたら家でのんびりと何もせずに過ごしていたいのだけれども。


それでもこうして、また、私は私自身に会いに行くんだと思う。