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原発性アルドステロン症の手術記録

原発性アルドステロン症という二次性高血圧と診断されて丸6年
満を持して?副腎を取る手術をすることになった。
正式名称は「腹腔鏡下副腎摘除術」
前置きは省いて、手術記録
(1年前に書いてほったらかしだったけど公開)

<手術前日>
午前10時半入院

実はその2日前からあまり体調がすぐれず、葛根湯をのんだり、はちみつしょうがドリンクを作って必死になっていた。
入院時受付で測った体温は39.5度だったが、
入院してベッドの上で看護師さんが測ると36.9度
やばい。。。手術できるかな。。。
「すみません、前日まで仕事が忙しくて疲れがたまってしまったみたいで、、、でものども痛くないし、鼻水も無いです」で押し切った。
内心はひやひやしていた。大丈夫かな手術できるかな。。と

午前中はまず病院内の歯科にてスケーリングを受ける
(前回は歯のチェックだった。全身麻酔時に歯がぐらついたり抜けたりしたら危ないからとのこと)
その日は必要な入院グッズ(腹帯、T字帯、おむつ)を院内コンビニにて購入し、からあげやお菓子なども買って夕食も普通食だった。

午後からは麻酔科へ行き、麻酔科医師から説明を受ける。
夕方に手術を担当してくれる泌尿器科の医師が部屋に来て、左副腎あたりにマーカーでしるしをつけて終わり。
翌朝いちばんの手術とのこと。手術室に入るときに好きな音楽流せますが?と言われ、急に言われても思い浮かばず「リラックス系で」とリクエストする。
特に点滴など入れず普通に寝る。24時以降は絶食。
4人部屋で私以外はおばあちゃんたちだった。

<手術当日>
ー朝9時からの手術に向け、朝7時以降は飲み物もだめな絶飲。
ー朝7時にいつものニフェジピンCR20mg1錠、スピロノラクトン1錠、塩化カリウム剤2錠を飲む。
ー朝8時に術着に着替え、5分前出発で手術室までエレベーターに乗って歩いて移動。夫が一緒に同行。
ー朝9時、手術室到着。夫と別れ、手術室へ。
手術室の隣の部屋であたたかいバスタオルを肩にかけられ、座って、「今日は何の手術をしますか?」と手術室の看護師さんに聞かれる。「左副腎の手術です」と答える。笑顔で優しそうなベテラン風看護師さんだった。
いざ、手術室へ。ベッドに寝て、若い女性看護師さんが術着の肩ボタンをはずして、大きな白いバスタオルを胸にかけてくれた。
音楽は弦楽器系のクラシックがかかっていた。
よろしくと麻酔科の先生と泌尿器科の先生。
ここで左手に点滴を入れて、そこから麻酔が入る。
酸素マスクのようなものをかけられ、息は鼻からでも口からでも吸って良いとのこと。
すぐに煙を吸ったようにゴホゴホと咳き込む。「大丈夫ですよ~麻酔のせいですから~」と看護師さん
そこからは記憶なし。
麻酔科の先生の説明では、麻酔がかかってからのどの奥に息をするチューブを入れるそうで、おそらくこの時に尿に管も入れてくれた模様。
全ては眠っている間に行われる。
本当に、咳き込んだ後はプツンと映像が切れるように記憶がない。

ー午後1時
手術終了。遠くの方で私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
自分は暗闇の淵にいて、遠くに光が見えてそこから私の名前を呼んでいる。
必死に答えようと「はぁぃ」と言うが、思ったように声が出ず、でも必死に答える自分。
(事前説明では、眠りから回復するまで手術室の横の部屋で30分ほど様子を見るとあったので、おそらくそうした模様)

それから次は病室へ到着していた。
「無事手術終わりましたよ。
旦那さんが心配されていましたよ」という執刀医の言葉は覚えている。
「はぁ、、そうですか、、、」
答えるのに必死だった。
(声が思うように出ない)

体には案の定、たくさん管がついていた。
心電図、痛み止めの注射、廃液を入れるバッグ、血圧計、尿の管、足には血栓防止のポンプ
思うように動けず、やはり疼痛があった。
(帝王切開の痛みに似ているけど、その4分の一くらいの痛み)

午後1時に終わり、そこから翌日までこのままの状態で耐えなければいけない。あさイチの手術は良かったものの、耐える時間が長すぎて詰んだ。
何時間おきに来る看護師さんに「みずください、、」と事前に準備しておいたストローコップで飲ませてもらう。(コロナ影響で付き添い看病不可)
とにかく喉がかわいた。
たまたまこの日は暖房も切られていて本当に良かった。
暖房ありの部屋だったらしんでた。
術後は暑い。なぜだろう。ずっと体温も37度だったよう。

今回、寝返りが思うおうに打てないのがものすごくストレスだった。
右側には寝返りを打てるが、左は手術をしたのでやはりできない。
足もポンプがつけられているので、思うように動かせない。
その状態で午後1時から翌日の昼まで耐えなければいけない。
丸24時間だ。これが堪えた。。。辛すぎて

麻酔のせいか、根底に麻酔が残っていて眠りの淵にずっといる感があった。

時計を見ても時間が全然進まない。
寝たと思って時計を見たら5分しか経ってない。
辛かった。つらかった。

手術後ってこんなに辛かったっけ?と思うくらい辛かった。
痛みとかではなく、自由に身動きが取れない状態で24時間過ごさなければいけないというのがつらすぎた。
でも耐えるしかない。付き添いもいない。一人でただ耐え忍ぶしかない。
途中で看護師さんがクッションを持ってきてくれて背中にあててくれたけど、あんまり意味がなかった。

次第に精神的にも辛くなってきて、自分でもやばいと思いはじめた。
精神的に参りそうだったので、看護師さんに「リラックスの音楽聞いてもいいですか」と。大丈夫ですよと。
どうしてもらったか忘れたけど、片耳にイヤホンをつけて、Youtubeのリラックス音楽を一晩中聞いていた。

翌朝だったか、執刀医が来た時に、抗不安薬を飲んでもいいか聞いた。
「いいですよ」と快諾。「持ってきてないんです。。」「では、処方しますね」と。
看護師さんが飲ませてくれたのは覚えているが何時だったかは忘れた。

朝6時に夫からのLINEに気づき、「気が狂いそう」と返事。どうやって文字を打ったのか覚えていない。

朝食は出ないと看護師さん。昼まで耐えなければいけない、絶望。
耐えよう耐えよう。ただひたすら耐えよう。それだけだった。

やっと昼になって、足のポンプが取られた。
そして、3分粥が出たと思う。記憶にあまりないけど。
食べるのにものすごく体力が要り、しんどくて何度も休みながら食べたと思う。赤ちゃんが母乳を吸うくらい体力が要った。汗ばんだ。

ーーーー
ここまでを1年前に書いていて続きを書いていなかったので、思い出しながら書きます。

手術当日、翌日はとにかく気が狂いそうだった。
今思えば、パニック障害特有の「この場から動けない恐怖」からだったのかなと。

最近調べたら、パニック障害に「発狂恐怖」というのがあって、自分はそれに当てはまるのかもと思った。9割でそうだと思う。
私に起こるパニックは、ウっと胸が詰まりそうになるパニック発作一歩手前の状況、それからこの気が狂う寸前を感じる「発狂恐怖」だ。

ロラゼパム(ワイパックス)0.5mgでどうにかしのいだ。

何度も、病院から飛び降りる人の気持ちがわかってしまって辛かった。

手術翌日に気が狂いそうで、夫にバナナと牛乳を買ってきてと言った記憶がある。
メンタルが良くない時はバナナと牛乳を飲むと少しマシになるような気がする。セロトニンが増えるらしい。

3日目くらいからはだんだんメンタルもマシになってきた。
それからは、line通話で友達と話したり、ネットドラマを見てたような気がする。

3日目くらいに足に蕁麻疹がいくつか出来て、ものすごく痒くて、それで薬をくださいと言ったら、翌日皮膚科の先生にも診てもらえた。
けど、結局原因はわからず、でも自分としては「拘束のストレス」からだと思っている。かゆみどめの塗り薬をもらう。

皮脳同根という言葉の通り、皮膚と脳は連携している。もともと胎児の時に同じ部位から出来たのだとか?

結局1週間ほど入院して、退院したけど、
退院時は、体力が落ちていて?それとも手術のダメージで?
1階の会計までエレベーターや歩きで行くのにすごくしんどく、ゆっくりしか歩けなかった。

会計を済ませて家族が迎えにきて、車で帰ったけど、
家に帰って母が作ってくれたご飯を普通に食べたら、
お腹を下した。
そこから2週間下痢だった。

家に帰って数日後に近所のダイソーまで子供たちと歩いてみたけど、カメみたいにノロノロ歩きしか出来なくて、ダメージか体力低下かがあった。
でもだんだん毎日少しずつ歩くうちに回復していった。

でも、退院後すぐに仕事をできるような状況ではなかった。
少なくとも2週間、完全回復だと1か月ほど時間がかかった。
(個人差はあると思います)

手術前の先生の話だと、退院後はすぐに仕事復帰できますよ~と。

でも、腹腔鏡で子宮の手術をした友達の話では、回復までに1か月かかったとのことで、パートは辞めることにした。

術後は150/98くらい平均だった血圧も130/90くらいに落ちた。
けど、念のため降圧剤(ニフェジピン)は3か月続けましょうとなった。

夜間の頻尿(2~3回は行ってた)も嘘みたいになくなり、
カリウムの数値も正常になった。(重症の低カリウムだった)

<手術を振り返って>
今思えば、もっと早く手術をすべきだった。

確定診断から6年

「最近は薬で様子みる流れやし~」という医師の言葉を丸呑みした自分にパンチしたい。

一刻も早く手術すれば良かった。

子供が赤ちゃんだったこと、そんなにすぐに手術しなくても大丈夫という医師の言葉を鵜呑みにしたこと、

それでパニック発作やらコロナやらで色々遅れて6年経ってしまったけど、

本当に一刻も早く静脈サンプリングをして、手術することをお勧めしたい。

切実に。

私は、低カリウムのせいで呼吸困難や四肢硬直のトラウマで電車や飛行機がだめになってしまったからだ。

原発性アルドステロン症による低カリウムのせいで、余計な精神病を患ってしまったからだ。

手術をして低カリウムや高血圧がなくなっても、パニックはまだ治ってない。

本当に低カリウム血症は怖い。

夏場にカリウムは低くなるし、お腹を壊して下痢でもしたらまあ大変。
一気に呼吸が苦しくなり、手足が石のようにガンっと固まってしまうのだ。
救急車を呼んで、それがトラウマになり、ある日電車の中で苦しくなってしまう。それから電車が苦手になり、、、

腫瘍が自然に無くなったり、小さくなることを願っていたけど、
無理だった。

6年後にはしっかり大きくなって、(6年間CTを撮らなかった医師もどうかと思うけど)手術する?と言われる。

医師も大事だ。

今思えば、エリートコース歩いてきた先生だったにもかかわらず、杜撰だったなと思う。

手術のために移った国立病院の先生はとても的確に薬を変え、良い治療をしてくれた。

本当に早めに手術(片方だけに腫瘍がある場合に限る)をおすすめします。

1年経って血圧は、128/80くらいです。
海外移住などもあって引き続き薬を処方してもらえず、自己判断だけど降圧剤は辞めました。
でも全然血圧は上がらないし、ずっとそれくらい。
今、まさに何も薬を飲まない(精神安定剤だけたまに)生活を送れています。

早い手術をおすすめします。(何回でも言う)


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