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Zoom読書会のお知らせ/戦略的後衛であれーテクトニックカルチャー序章より

zoom読書会 2020年10月3日(土)18:30〜
「テクトニックカルチャー」後編

前編は基調講演でしたが、後編はテクトニクスから見るフランプトンの作家各論です。
4章 フランク・ロイド・ライト
5章 オーギュスト・ペレ
6章 ミース・ファン・デル・ローエ
7章 ルイ・カーン
8章 ヨーン・ウツソン
9章 カルロ・スカルパ
10章 結語

みんなの知ってる建築家が沢山出てくるよ!
なかなかテンションのあがるラインナップではないですか…!
要約もいろんな人が参戦するので、楽しいと思います。
歴史系の人もいるので、かなり充実の内容になるのでは、と期待大。
本なし、聞くだけ参加もアリ。
興味のある方はメール、SNS等何らかの方法で、ご連絡ください。
info@mya-o.com

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前編は序章、2章、3章;基調講演と歴史的位置付け作業の章でした。
私は序章要約担当だったのですが、前回の会では力不足ゆえに特に後半読み飛ばしてしまった部分があるので、補足したいと思います。

批判的地域主義からのテクトニックカルチャー

テクトニックカルチャーは83年のフランプトンによる論考「批判的地域主義に向けて」を並行して読むと、その構造がかなりくっきり見えてきます。
大きな歴史的論点は批判的〜と共有したまま、具体的に建築を読み解くテクトニクスという視点を手にいれた、ということになるでしょう。
「批判的〜」は短い論考なので合わせて読むと良いと思います。
「批判的地域主義に向けて」には、抵抗の建築に関する6つの考察、という副題がついています。批判、抵抗…血がたぎってますね(笑)。
批判的地域主義は、テクトニックカルチャーのちょっと前に書かれた「現代建築史」でも独立項目で扱われています。(邦訳版はテクトニックカルチャーの方が先に出たが、原作は現代建築史の方が3年ほど早い)。

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一連の著作を読むと、フランプトンにとっての大きな主題が見えてきます。
即ち、アバンギャルドあるいは近代自体の不可能性が明らかになった現代において、それでも建築が批判的実践でありつづけるための可能性を探る、ということです。
テクトニックカルチャーには、批判的/地域主義/抵抗の建築、などのワードは出てきませんが、一見話題が飛び飛びになっているように思える序章の後半は、実は大きく旋回してこれらの伏線回収をしていたということがわかるのです。

批判的〜の冒頭では、この論考が書かれることになった前提となる世界観が端的に示されており、この世界観はテクトニックカルチャーにも通底しています。
大きな流れとして、文化・芸術の社会変革(前衛)からの撤退…フランプトンの表現を借りれば、「文化と文明の弁証法が作用しなくなった」ことが挙げられています。近代化と不可分な存在として興ったアバンギャルド=社会変革の気運、進歩主義、啓蒙主義…の文化は1920年代をピークとし、その後1930年代には自らの啓蒙的性格ゆえに全体主義(スターリニズム)に直面することとなります。論客達は「前衛」がもたらした結果に困惑し、戦略的に身を引く結果になっていったというわけです。
文化と文明の弁証法が作用しなくなった結果、世界はテクノロジーの時代を迎えシステムによって遍く普遍化されていくことになり、芸術は商品に下降し続けることになります。
建築はといえば、

一方では生産のみに基づいたいわゆる「ハイテク」のアプローチと、他方ではこうした普遍的システムの苛酷な現実を覆い隠すための「補遺的なファサード」の設置とに分極している。

後衛であること

そうした世界において建築はどうあれば良いのか、もはや現状を追認して出来るだけ上手にラッピングをしてみせるしかないのか…。
そうした問いに対してフランプトンは道筋を見出そうとしています。
以下はテクトニックカルチャーまで繋がる、要の一文です。 

今日建築がなお批判的実践でありうるとすれば、それは建築が「後衛主義(arriére garde)」の立場〜中略〜を取る場合だけである。

前衛ではなく、後衛であること。
社会の改革を目指す前衛に対し、後衛は社会の補完的存在である、ということになると思います。
後衛主義は地域主義と結びつけられやすいが、単なる地域主義ではなくそれが批判的な戦略であることが重要であるとも述べられています。
テクノロジーの楽観主義からもノスタルジックな歴史主義からも距離を取り、批判的な後衛であれ、というわけです。
読み進むと分かりますが、ここでいう批判とは自己批判を意味しています。一方前衛、啓蒙の母体は他者批判です。同じ批判でも対象が異なるわけです。

しかし実はこの論考では、後衛であることが、システムとテクノロジーによって普遍化されつつある世界において、「なぜ」有効な手段であるのか、きちんと説明されていません。
「どのように」有効であるのは、は説明されています。
しかし「なぜか」が説明されるのは、実はテクトニックカルチャーの序章なのです。

この批判的地域主義の基本的戦略とは、普遍的文明のインパクトと、個別的な場所の特色から間接的に引き出されてくる諸要素とを和解させることである。

「制限する地域主義」に対してもうひとつの地域主義、すなわち「解放する地域主義」が存在する。(作中引用 ハミルトン・ハーウェイ・ハリス)

続いて批判的地域主義の方向性としていくつかの視点が挙げられており、ここでは
・場所ー形式の抵抗
・文化対自然ー地勢、コンテクスト、気候、光、構造的形態
・視覚性対触覚性
といったテーマが列挙されています。
地域主義というキーワードを考えればなるほどです。しかし何となくキーワードからの逆算的な感じもあり…?

空間=近代建築のラスボス

ここで、テクトニックカルチャーの冒頭に接続すると、フランプトンがいきなり核心に切り込んだことに感動するのです。
場所、触覚、コンテクスト…建築が批判的後衛であるための方法論としていろんなものを持ち出していたが、建築のもっとも足元に、一番デカいラスボスが横たわっていた…即ち「空間」です。

本書の目的は、建築において空間に与えられている重要性を中和することである、と最初からハッキリ書かれています。
これはフランプトンが、近代建築におけるラスボス=空間に挑む書なのです。

テクトニックカルチャーは、冒頭から近代建築における「空間」についての問題提起で始まります。
今、私たちが自明のように語る「空間」は実は近代とともに起こった新しい概念であると。ではそれはいつ、どこから来たのか。
これだけでも、今の普通の建築教育を受けて来た身には衝撃的です。
空間て…自明じゃなかったんだ…。

ゼンパーの建築論と空間の台頭

その出自を探るため、フランプトンは19世紀後半の建築論壇に遡っていきます。
そこで19世紀後半時点においては建築における主要命題の一つであるとされていたが、20世紀前半の近代建築繚乱期までにすっかり忘れ去られたものを見つけるのです。それがテクトニクス=結構(構法、構築)です。
ちなみに19世紀半ばの時点では、建築理論の中では近代的な意味での空間という用語はまだ使われていません。建築即ち様式、の時代です。

ここでは建築家であり理論家でもあるゼンパーがキーマンとなります。
ゼンパーの原始の住居における建築の4要素(1851)
①基礎 ②炉 ③骨組み/屋根 ④軽量の被覆
という大変興味深いものです。
ここには結構とその被覆という建築材料の物性に結びついた、見方によっては現代的な建築理論の萌芽が見て取れます。
隈さんの言葉を借りれば「炉=設備」の発見という見方もできます。

ゼンパーはさらに、これに基づいて建設技術を2つの基本的方法に分類しています。
1.骨組みの結構術:軽量の線材の組み合わせ/tectonics 結合を語源とする
2.切石組積術:重量部材の反復的な積み上げ/stereotomics 固体&切断を語源とする
これも大変面白いですよね。
建築技術を極限まで抽象化すれば、それは線材の結合技術と量塊のくり抜き技術に還元される、というわけです。

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ゼンパーは素材、技術など、図らずも現代的な視点をもった理論家でしたが、実践家としてはバリバリの様式主義者でした。(写真はゼンパーの代表作/ドレスデン宮廷歌劇場)
ゆえに、と言っていいと思いますが、19世紀末に至る様々な建築論の中で次第にゼンパーの「被覆の技芸」は批判に晒されるようになります。
旧態依然とした様式主義の覆い、というわけです。
1878年の論文でゼンパーの弟子筋のフィードラーは様式的な建築の被覆ではなく壁の空間的な可能性を利用すべきと提案し、1894年美術理論家シュマルゾウは明確に被覆の技芸の装飾性を拒絶した上で、建築にある「空間形成体」の抽象能力を評価しました。抽象空間概念の導入です。
近代につながるこの建築思潮の流れは、1904年ベルラーへが建築を「空間を包み込む技芸」と定義したことでさらに鮮明になりました。

さらに1910年にベーレンスがゼンパーの元を実証主義者として去ったことは、近代建物文化にとって決定的なことを示す〜ものである。

ここに至って、ゼンパー自身がその理論と共に近代建築人にとって「乗り越えられるべき壁」のような位置づけになってしまいます。
乗り越えられる過程で建築の4要素は忘れられ、1980年代に再評価されるようになるまで浮上しませんでした。

結果として、

ドイツの建築家達は結構的な形態から抽象的で非結構的、あるいはほとんどグラフィックでもある形態へと主たる関心を移していく(後略)

と、読んでいくと、空間て結局反ゼンパーってことだったのか…?と思わされますが、もちろんそういう話ではありません。
技術・素材が軽視され、抽象空間が台頭してゆくもっと大きな背景として、フランプトンは近代建築の前衛主義、啓蒙主義への傾倒を挙げています。建築を、技術・素材の問題として捉えること=職人術として肯定することであり、それは前衛主義と相容れないものであったのです。

テクノロジーをめぐる諸問題

一方なぜ、空間=抽象空間は10年ほどの短期間で近代建築の中心的命題にのし上がり、いまだに建築の中心であり続けているのか。
そこで出てくるのがハイデガーの「テクノロジー」への言及です。
ここでのハイデガーについての記述は一見唐突に思えますが、実は批判的〜の中でもハイデガーのテクノロジーについてのほぼ同じ言及があります。むしろここを思考の生命線として、テクトニックカルチャー までつながってきたと言っても良い。

ハイデガーにとってテクノロジーの問題とはそれがもたらす利益にあるのではなく、擬・自律的な力として出現し自らの構造(様態/Gestalt)で時代を「印付ける」ことにあった。

それは工業技術によって悪化する環境の問題というよりも(それも切実な問題ではありますが)、

テクノロジーとはあらゆるものを変えてしまい、川でさえ「ただの貯水池」、つまり水力発電の水源や観光の対象にしてしまいがちな傾向にあったのだった。

ここで言うテクノロジーとは、具体的な工業技術というよりも、すべてを…自然、環境のみならず人間をも「資源」に変質せしめる、自己目的化した思考(に基づく所業)を指しているのであり、それは近代の核心です。
近代社会にとっての、この「テクノロジー」が建築にとっての「空間」にあたるのではないか、それがフランプトンが暗に示そうとしている大胆な仮説なのではないだろうか。
つまり、空間という新しいアイテムを手に入れたことで、建築も近代と同様、自律的で自己目的的なあり方への道が開かれたのです。
後段ではグレゴッティのより具体的な記述も引用されています。

もしも今日戦うべきはっきりした敵がいるとすれば、それは何に対してもおかまいのない経済的/技術的な空間という考えに示されるものだと私は信じている。(作中引用)

テクノロジーにとっては、自然環境も人間がこれまで築き上げて来た社会や歴史も、すべては自己を拡大させるための潜在的な資源でしかない。
ゆえに、技術と自然や伝統社会は対立するものではなく、境界もなく外部もない。

世界の<人工性>と大地の<自然性>のあいだの豊穣で必要な対立をハイデガーは肯定する。一方は他方なしにはあり得ないことに気付いていたからである。

ハイデガーはラテン語のspatiumあるいはextentioといった均等な部分が連続する古典的抽象空間概念に対し、場所性を取り戻す空間概念として、ドイツ語のraumを挙げます。
raumも空間ですが、作られた/用意された空間というニュアンスが強い、場所の概念を含む語です。
raumからは、マリオ・ボッタの有名な言葉「土地を建てる」が想起されます。これも批判的〜から再度登場している重要な一節です。
もう一度、今度は戦略的に、人間と自然が対立する世界に戻ろうとする力が必要なのです。

もしもテクノロジーが地球的な規模で広がってしまえば、自然も歴史もあるいは人間自身も、テクノロジーの無・世界性に耐えられないと彼(ハイデガー)は考えていたからである。

調停者としての建築家

spatiumではなくraumであるところの空間を紡ぐ方法、それがテクノロジーに対峙する人間の所業=テクトニックです。
その中心的な態度は進歩、革新ではなく、他者との間の絶え間ない「調停」です。
もう一度他者の存在する世界に立ち戻り、それらと自身とを調停し続ける営みが、ひいては世界を膨張する「テクノロジー」から救うとまでは言わないまでも極限状態に至るまでの時間を引き伸ばすことができる、唯一の有効な手段だ、というわけです。
技術を離れ、技芸に戻れ。
表現者でなく調停者であれ。

自己目的的な新奇さの限界も語られます。自律的なオブジェに閉じこもるのではなく、建築は生きられた過去を体験として蘇生させ、批評的に現在へと統合することに開いていくべきなのです。

「建築家は新しいものを何も発明しない。彼らは現実を変えるだけである。」(作中引用/アルヴァロ・シザ)

調停者としてのあり方ー建築を結構的手続きに根拠付けつつ、社会的なものーアーレントの言う「公的な出現の空間」ーによって調整する、あるいはテクノロジーに依拠しつつ、職人的世界をもって調停する。
いずれにしても建築を自律的な事物として作らず、絶えず関係性の中におくことの重要性が説かれています。その意味において、ペレの有名なスローガン「構法にディテールはない」のです。

というわけで結構は全体的イメージを優先するためにディテールをないがしろにする今日の傾向とは対極に位置していよう。結構が自らに見出す価値とは、無意味な形象性に対立することなのである。

これは、反・テクノロジーとか反・近代、という態度とはむしろ逆で、伝統や地域主義的記号だけでももちろん不十分で、あくまでも公共や革新技術などと調停し続けることが重要だ、というわけです。
それゆえ建築は(建物と違って)邸宅(domus)の私性より公共的に見える空間に向かう傾向があろう、となっています。

と、ここまでが序章の読み解きです。
全体として大きく二つの要素
・従来型技術=歴史性
・場所性
が交互に出てきて、実際にはもっともっと様々な論点が展開されるのですが、とにかく一読して一番わかりにくかった「テクノロジー」を位置付けたというところで、私自身はホッとしています(笑)。

ちなみに第2章の冒頭はフランチェスコ・ダル・コーの有名な一節で始まります。
即ち、ミースの「二つのレンガを注意深く結合されるとき、建築が始まる」について、二つのレンガという還元的なイメージに気を取られるべきではない、ここで重要なのは「注意深く」という点なのである、というものですが、この「注意深く」がつまりは調停的態度を意味していると言って良いでしょう。

というわけで、後編は各建築家たちがどのように空間=raumを結構しているのか、みんなの知ってる建築家を読み解いていこう!

吉村真基
http://mya-o.com


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