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建築に満ちるもの ー官舎プロジェクト <&読書会再開のお知らせ>

一年以上前ですが、香川の琴平で鈴木了二&吉村昭範の官舎プロジェクトを見学した際のメモ。
備忘録として個人の感想を残しておきたいと思います。

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官舎プロジェクトは鈴木了二作品としては一応地味な部類に入るのではないかと思います。
しかし、いや、だからこそ凄みの真骨頂がやっと理解できたという感がありました。見られたのは本当に良かった。
例えば金比羅宮プロジェクト、これはもう圧巻です。大胆な構成かつ皮膚の切れるような鋭さ、迫り来るディテールと緊張感漲る空間。
楽しさとか賑わいとかいった雰囲気は一切排除されて、異次元の、ひたすら建築だけの世界。
動線やゾーニングすら霞み、ひたすら建築。
とまあ凄いのですが、私なんぞが日々追われている仕事とは、シチュエーションも質もお金も桁違いで、自分との距離を計りかねるという側面は否定できません。まさに異次元。
凄いけど凄くて当たり前、でもある。
ちなみに金比羅宮プロジェクトは吉村くんが担当スタッフだったので、ある意味鈴木+吉村体制による作品と言えます。

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その点官舎プロジェクトは金比羅宮プロジェクトと比べるとはるかに素朴な建築です。
木造の小さな住宅。つまり私が日々やっているような仕事に少なくとも規模は近い。佇まいも穏健です。金比羅プロジェクトのように斜面を切り裂く鉄板(!)とかはなく、街中に建つ平屋の住宅。
切妻屋根に木造の軸組。
全体的な印象も金比羅に比べればかなり簡素で、ディテールは一見木造の納めに則っているように見えます。

しかしカメラを構えて驚嘆しました。
ファインダーを覗くと、そこにとんでもなくキマった建築が立ち上がってくるのです。
それも決め構図があるとかディテールが見せ場というような話でなく、カメラをどこに向けても、ファインダーを覗いた瞬間そこに建築がある。
なんなんだこれは…凄い。
それはずっとそこにあったもので、同時に今現れたものでもある。
観察者に応じて現れるが如く、フレーミングした瞬間立ち上がるシュレーディンガーの建築。
カメラをどんどん寄せても建築、どんどん引いても建築。
寄っても寄っても情報量が減らない。
鈴木了二さんが以前DUBという概念を提示していて、私はよくわからないままわかったような気になっていたのですが、こういうことだったのか…?
こりゃすごいな。
どこで、どのスケールでフレーミングしても建築。建築のフラクタル状態なのです。
そうしてファインダーから目を外すと穏健な佇まいに隠れた全貌の異様さがやっと見えてくる。

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モジュールで構成された小屋組は壁梁で構成された重く硬い面のグリッド、軸組は華奢で細い線のグリッドです。
上が重くて下が軽い。上部構造は軽くという慣習的なあり方が反転され、一気に緊張感が走ります。
さらに照明などの二次部材は見付50mm、軸組と拮抗する存在でありつつグリッドから離れて浮遊し、動き出しています。ヤバい。
小屋→軸→二次部材と居住空間に降りるにつれて部材の間に斥力が働いて、流動しようとする建築をかろうじて繋ぎ止めているようなギリギリ感。

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GAを読むと計画の基点として木造住宅の暗黙知である尺寸モジュールを、というかモジュールがある、という前提自体を逆手にとっていることがわかります。通常1820mmであるところの尺寸グリッドを2300mmに広げ、軸組は通常105mmの寸法を75mmに落としています。
つまりスパン30%増、部材メンバー30%減。こういう絶妙な配分が緊張感をもたらすわけか。
小屋の壁梁と天井はただ合板を貼ってるだけなのに、これでもかってくらいビッチビチの施工精度。普通の現場ではいくら表しったってここまで要求できないよなぁ…。

この小屋と軸組の間にスパーーーンと入った空白が、この建築の要ではないかと思います。
面のグリッドと線のグリッドの間に挿入された隙間、この空白が凄い。
隙間があることで小屋が浮いてみえるというような生易しいものではなく、小屋と軸が静電気力で反発しあっているかのような物凄い緊張感。
さらにあっという間に一瞬早く動きはじめている二次部材がその緊張感をさらに高めています。
ヤバい、一瞬遅かった!という感じ。認知が間に合わない。

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力が伝達されるはずの小屋と軸の間がスパっと切り離されていて、しかし架空の力がみなぎる異様な隙間。
引力と斥力が拮抗する空白。建築の要は力に満ちた空白である。
考えてみれば了二作品には細部の細部までそうした隙間が現れます。

どこでフレーミングしても建築が現れる状況を生んでいるのはこれかもしれない。
ディテールに唐突に挿入される重量物や5mmの空隙が、建築の細部を架空の力で満たす。空間が、細部に至るまで重力以外の得体のしれない力の均衡によって成り立っているのです。あのディテールは得体の知れない力のダイナミクスから必然的に生まれてきている、という仮説。
ゆえにスケールフリーで建築が立ち上がる。

翻って私たちは何を建築空間と捉えているのだろうか。
たとえば、単に架構が重力に拮抗し、人が中で活動できるというだけでは建築的な空間とは言わない。
もちろん一定のスタイルのことでもない。建築はもっと自由でスケールフリーな存在である。
プログラムや動線、あらゆる計画学上のファクターは必要条件であっても十分条件ではない。
それだけで建築が立ち上がることは、まずない。
つまり「建築」は空間の絶対的な大きさではないし、一定の意匠的な処理でもないし、建築計画のことでもない。
大学では建築計画を教えつつ設計課題になると「建築」を作れという話になるからややこしいわけです。

建築とそうでないものを分ける分水嶺は、そこに得体の知れない力の拮抗があるかどうかなのではないか、というのが官舎プロジェクトを見て辿り着いた現時点の仮説です。
最終的には設計者が、重力に加えてこの架空の力の存在を感じ取っているかどうか、なのではないだろうか。

考えてみれば、求心的なプランとか均質空間とか、建築を語る用語自体にすでに「架空の力」が現れています。
建築を建築たらしめる力とは何か。これはなかなか面白い命題かもしれません。

…というわけで、長らく放置(汗)していた読書会を再開したいと思います!

7/25(土)18時〜 テクトニックカルチャー<1>

分量があるので数回に分けます。
今回からはリアルとZOOMの並行開催とします。
リアル会場はMYAO事務所(名古屋市内/最寄駅は地下鉄覚王山駅)
ZOOMでも参加できるので、全国どこからでもご参加下さい。
(一応人数上限は設けます。)

参加希望の方は
info@mya-o.com
までメールいただくか、ツイッターDM、メッセンジャーなど各種SNSでご連絡ください。


ちなみに写真は全て私がスマホで撮ったものです。現場では、おぉ…すごい、とか言いながらおろおろし、ちっとも気の利いた写真が撮れませんでした。伝わらない場合、建築ではなく私の撮影センスと技術の不足によるものです。ご容赦くださいませ。フレーミングガーとか言ってる割に写真?ぅうん?という批判は受け付けません(笑)。

吉村真基 吉村真基建築計画事務所|MYAO 



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