おじさん ドラえもんに泣く
また「ドラ泣き」してしまった。
新型コロナウイルスの第三波と言われる昨今、出歩くのは避けなければ……と思いつつ、「これだけは」という思いで一人で観に行った「STAND BY ME ドラえもん2」のことだ。
僕のようなアラフィフのおじさんにとって、「ドラえもん」は特別な作品だ。
何しろ、初めて自分のお小遣いで買った本はドラえもんの1巻。初めて劇場で観た映画は「ドラえもん のび太の恐竜」(ドラえもんの劇場版第一作)という世代なのだ。
思い入れの深さは、生半可ではない。
そんな「ドラえもんにはちょっとうるさい」世代の僕を「ドラ泣き」させてくれたのが、前作「STAND BY ME ドラえもん」だった。
最初は、「3DのCGが売りの焼き直しだろ?」「ドラえもんを2時間サイズにするのは無理があるんじゃないの?」と思って観ていたが、全く違った。
あの長大なドラえもんシリーズの作品を、「のび太と静香ちゃんのラブストーリー」という切り口に絞って、95分で見事に再構成。
目を見張る美しさ・迫力の3D映像とストーリーの巧みさで、思う存分、滂沱の涙を流させて頂いた。
さて、次は。
「楽しみ」という気持ちと、「お手並み拝見(次はコケるんじゃないの?)」という気持ちが相半ばしつつ、劇場の席に座った。
(どんだけ毎回斜に構えて観てるんだ、と怒られそうだが、そもそもおじさんというのはそういう生き物だし、それくらい、ドラえもんへの思い入れが深いのだと理解していただきたい)
正直に言うと、前半は、もどかしかった。なかなかストーリーがダイナミックに展開せず、若干だらだらと「普通のドラえもん」が描かれる。子どもも楽しめるようにとの配慮からか、セリフのやりとりもテンポが遅く、現代の速いストーリー展開に慣れた身としては、ややフラストレーションがたまった。
しかし、のび太とドラえもんが未来の結婚式に向かう辺りから、物語は俄然、面白くなり始める。
あまり説明するとネタバレになってしまうが、僕も自分の結婚式を思い出しながら、もし自分だったら……とハラハラドキドキした。
観ていて、ふと思った。
「のび太って、珍しい主人公だな……」と。
抜きん出たところが、ひとつもない。少年マンガの主人公はたいてい、めちゃくちゃ強かったり、頭がキレッキレだったりするか、たとえ取り柄がないダメダメキャラでも、いざというときに秘められた力を発揮したり、作品中でどんどん成長していったりするものだ。
でものび太は、徹頭徹尾、最初から最後まで、ダメダメ。たいした成長もしないし、秘められた能力もない(せいぜい、あや取りがうまいとか、射撃が得意とか、昼寝が天才的だとかで、ときどき役立つが物語の本質には絡まない)。
ここまで「普通の少年」が主人公という物語も、ちょっと珍しいんじゃないだろうか。
だからこそ、作品に作り手が込めたメッセージが際立つ。
前作が「ラブストーリー」なら、今作は「家族の物語」だ。
映画の終盤、のび太の両親が見せる表情や言葉。結婚式で新郎ののび太が不器用に語るスピーチ。
どれも決して、感動的な名台詞ではない。ごく普通の、ありふれた、どこにでもある言葉たちだ。
どの家のお父さん、お母さんも、きっと口にしている言葉。日本中の結婚式で、新郎が緊張してしゃべっているありきたりなスピーチ。
それが、どうしようもなく泣ける。
ありきたりだから。どこにでもある言葉だから。それは日本中の家族の言葉であり、僕の言葉でもあるから。
こんなの、ドラえもんでしか描けない、と思った。
思えば、息子を最初に映画館に連れて行って観せたのは、「ドラえもん のび太の恐竜2006」だった。
いま息子は大学生になり、もう一緒に映画を観ることはないだろうが、あのときスクリーンに目を輝かせていたうちののび太は、将来、どんな女性と結婚し、その結婚式ではどんなスピーチをするのだろう。
かつて、「うちにもドラえもん来ないかなぁ」と、自分を重ね合わせて見ていたのび太は、今はもう、息子にしか見えない。
そして息子もいつか、ドラえもんの新作映画を観て、そんなことを思うのだろうか。
ドラえもんとは、ほんとうに不思議な作品である。
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