秋の夜長、引退の季節に推しを想う。
プロ野球にはまってから初めての秋が来た。
繋がっていないような、いるような話をつらつら書きました。
全て和田康士朗選手関連です。
いつかくる終わりの話
秋は、気候の点では個人的に一番好ましい季節だ。
が、ひとたびプロ野球にのめり込んでしまうと、レギュラーシーズンが終わって連日の試合がポンとなくなってしまうのが寂しい。
試合数と反比例して、少なくない人数の選手たちが引退し戦力外通告を受けるニュースをたくさん目にするのもまた、寂しい。
そんな寂しさに浸っていると、和田康士朗選手がプロ初ホームランを打った時の広報動画で「打てないでそのまま引退するんだろうなあと思ってました」(2:05〜)と語っていたのをどうしても思い出してしまう。
薄く笑いながらの淡々とした言葉にひやりとしたファンは、私だけではないはずだ。いやいやいや、ライナー性の長打放ってもっと盗塁してくれと。
でも、彼の野球歴を考えたら納得はする。和田選手にとって、野球選手という職業は「絶対なりたいもの」ではなく「なれたら良いけどなれると思わなかったもの」だった。
だから、24時間野球だけ(他はゲーム)していられるプロ野球選手の期間は、人生におけるご褒美タイムみたいな認識なのかもしれない。
だからといって努力を怠っているわけではないのだが、もう気質からしてそうなのだと思う。あまりにも無欲で、ゆえに数多の才能を持て余してきた。
(そこにさえ惹かれてしまうのだから私という人間も大概だ。)
別界隈で悲しまれている某ベイスターズファンがグループを脱退したこともあり、最近の私はちょっと神経質過ぎるきらいがある。
でも、彼が野球選手である限り(そして法に則って生きている限り)はユニフォームを着て応援し続けるつもりでいるし、いずれ必ず来る引退の後も幸せを願い続けている自分は容易に想像できる。私は重いファンなのだ。
チームのために
最近の和田選手といえば、これを抜きにしては語れない。
ことしのマリーンズ流行語大賞どころか来季のスローガンでもいいのでは?との呼び声高い、そう、「心と心」だ。
あれ、和田選手ってこんなキャラだっけ?思ったより漫画寄り思考?私の解像度が低かったゆえに公式と解釈不一致起こしてる?
と1人で混乱しているうちに、公式が畳み掛けてきた。
(ところでサムネの筆記体Heart to Heartは誰が書いたんですか)
吉井監督に音頭を取らされた時も、私が想像していた50倍はまともに締め括っていた。
祝いと鼓舞の言葉を簡潔に、だれることなく早口にもならず。
彼が寡黙な割に言葉を持っていること自体は驚くに当たらない。和田選手がジョブチューン出演時点で既にそれなりの雛壇トークができていたことを私は知っている。
(設楽さんの誘い玉に乗らず「ロッテリア」と答えた反射神経はさすがだった)
では何が意外だったかというと、仲間内とはいえ大人数の中で最初から最後まで迷いなくやり切れたことだ。
彼が特別に照れ屋という印象もなかったが、ローキ・ササキが「思ったより」声が出ていたと評したくらいだ。カメラのないところでは前から、というわけでもなさそうだ。
ムムムと唸る私の疑問には、カジーが答えてくれた。
大事なことはみんなカジーが教えてくれる。
この記事から分かるのは、「心と心」が和田選手単体のアイデアではないこと、そしてやはり、この和田選手は今までの彼と明らかに違うということだ。
動画の中で佐々木くんに「意外と〜」と言われた後には続きがある。
カジーが「殻を破ったんだよな!」と話を振った後、和田選手は「チームのために頑張りました」と答えたのだ。
JUNONのインタビューでこんなことを言っていたのが、最早懐かしい。
何年も前から、和田選手は何度もこの気持ちを言い表してきた。
同じ雑誌で、慎吾さんは和田選手について「口数が少ないけど、芯の強い子」と言っていた。
低体温男子がチームのために頑張る。最高に推せる。
あと、私の解釈がお門違いでないことにも安心した。彼は厨二病ではなかった。
野球選手とて人なのだから
実は、「心と心」事案よりも先に「おや?」と思った瞬間がある。
ポラちゃんがみんなから拍手を受けながら廊下を通るところ、すぐ後ろを歩いていた和田選手が、まるで自分が祝われているかのように軽く手を挙げたのだ。すぐに「康士朗は関係ないw」とカジーに突っ込まれていた。
スマートなおじーならともかく、和田選手がこんなボケをしてくれるとは。正直驚いた。
彼がポラちゃんと仲が良いのは、ショート動画やまり〜んずかん2024の情報で知っていたつもりだった。とはいえ、ラテンの風がこんなところでチームメイトに影響を与えるとは、スカウト陣もゆめゆめ思わなかったろう。
主語が大きくなるのを承知で書く。スポーツ選手とて人なのだから、変化するのはプレーだけじゃないよな。
吉井監督だって書いていたではないか。
今でこそお茶目イケオジとして愛されている吉井監督も、若い頃はそれなりに武勇伝していたと聞く。
その過去を知られた上で、「マサトォーーーーーーヨシーーィイ」の帽子ポーズをしたり広報動画でちょけたりしているのだから、かっこいいなと思う。
和田選手だってそういう年の取り方をするかもしれない。というか、一個人としてはそうなってほしい。そうしてほしい。とても。
ユニフォームを脱いでただの和田康士朗さんになった時、ファンがそれ以降の姿を見ることはないような気がしている。
指導者?YouTuber?可能性はゼロではないが、それが適性かと聞かれるとそれも分からない。ネガティブな私は、衝撃に備えて2度と目にできない覚悟をしている。
和田選手を選手として尊敬しつつ、ただの人として眼差し続けることをやめてはいけない。
とかく選手を駒にしたがる評論家様たちを、「ハハ、言っとけ」と鼻で笑える強さがほしい。
人それぞれ、何らかの努力
和田選手は陰キャだと思う。
ゲームが好きでもオタクとは限らない。でも陰キャだとは思う。
好プレーをした後、へにゃりと笑いながら近くの選手とぼそぼそ話しているところを見て確信を強めた。
陰キャだが、ぼっちでもない。彼の周りには大抵何となく誰かがいて、何となく構われている。あー、真ん中っ子だなあと思う。
その温かさは千葉ロッテマリーンズというチーム全体の強みでもあるが、ここでは和田選手個人の魅力にフォーカスする。
YouTubeのコメント欄を見る限り、彼はファンから「大人しい」「控えめ」と評価されることが多い。口数の少なさと極端な欲のなさから、決して間違った推論だとは思わない。
ただ、内部の評価を拾っていくと、どうもその解釈がフィットしない。
「おっとり」
「焦らない」
「マイペース」
「寡黙」「口数が少ない」
真逆とまでは言わないが、90度くらい観点が違う気がする。
マイペースという評価はまり〜んずかん2024で初めて見掛けた。だんだんと増えていくメディア露出を眺めていると、今の彼に一番はまっているのはこの言葉じゃないかと個人的に思っている。
ワガママとマイペースは違う。皮肉として使っていない限りは全く違う。ワガママは人を遠ざけるが、マイペースはどちらかというと人を近づける。
マイペースと評される人たちは、確かに外からの影響を受けづらい。ワガママと似ている。だが、人の意を介さないかというとそうとは限らない。自分の快適さを保つために他人を振り回すことはない。
これがワガママとの大きな違いだ。だから周りは安心できる。
子どもの頃、マイペースな人が友達に囲まれているのを見るたびに不公平を感じた。あの子は何にも努力をしていないのにみんなに好かれていると。まあ、無精者の僻みだ。
現実を見れば、全く何の努力もなしに生きている人間などいない。得意なことの多い人、得意のレベルが高い人はいるが、だから純粋に得をしているとは限らない。
多才ゆえに搾取されたり、有能だからこそ必要以上の期待を受けてしまったりする。その苦しみは、ゲームの個体値のようには算出できない。
話が逸れたが、要点はこうだ。私がマイペースな人を羨むのであれば、私がそのような人間になる努力をする必要がある。
結局和田選手だって、抜群の運動神経を持ちながらも打撃には苦しんでいるし、人が自然と集まる人柄をもってしても「心と心」に至ったのはプロ7年目だ。
彼の欲のなさと極めてドライな目標設定に何度でも恋をする。設定した目標に関してはしっかりアジャストしてくるところに嫉妬する。
シーズン通しての盗塁成功率100%は無理とか言いながら、結局レギュラーシーズン100%のまま走り抜けてしまった。
全然勉強してないくせに平均点のちょっと上取られた、みたいな悔しさとかっこよさがある。(彼の場合は準備あっての100点満点だが)
お世辞にも「マイペースで親しみやすい」とは言い難い私でも、前より今よりもう少し、人が寄っつきやすい人柄になりたい。なれるだろうか。
目標は現実的に、準備は丁寧に。
語ったならば、確実に。
泣いても笑っても、クライマックスシリーズは今週末から始まる。
こんなセンチメンタルな気持ちはきっと、来週の今頃にはすっかりなくなっている。
だから、気恥ずかしくなる前の今のうちに晒しておこうっと。
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