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「世界観の違いを味わいたい」

大学生に英語の原作と翻訳を比較する授業をしています。

英語で読めるようになったから気づくことがある

先日、とある大学でlittle blue and little yellowと『あおくんときいろちゃん』を比較する授業を行いました。

英語の原作を読んだ後に、いくつかのページを「日本語に訳して」と指示し、訳したあとに日本語翻訳版と比較して、違いやその違いが生まれた背景や経験、意図などを考えます。

日本語翻訳版は翻訳者の藤田の意訳が特徴的。その意訳が素晴らしくて大ヒットしていると思われる作品です。わたしも大好きです。

一方で、英語で原作を読めるようになった場合、その原作を読んで驚くこともあります。

この場面、原作ではhugとかkissとかが描かれていたんだ。
小さい時から『あおくんときいろちゃん』をずっと読んできたけど、初めて知った。

授業後に感想を伝えてくれた学生のひとことより

そう、日本語しか知らない場合、翻訳版がその絵本のすべてです。でも英語で読めるようになったら、原作も読むことができます。

彼は『あおくんときいろちゃん』を持っていて、小さな頃から大好きで暗唱できるほどに読んできたそうです。(だからなのか、クラスの中で彼の訳だけ明らかな意訳でした。彼はその訳しか思い浮かばないそうです。逆に他のみんなが直訳なことに「そうなるんだ」と驚いていました)

原作から翻訳される過程には翻訳者や出版社が存在して、様々な意図を持って翻訳されます。それは翻訳を出版する過程にあっては当然のこと。

なんとなく、特に日本の学習者に顕著な特徴なのかもしれませんが、原作=翻訳、まったく同じなはず、というような思い込み、バイアスが存在しているように感じます。

それは英語学習の過程において、とくに入試対策と銘打って直訳こそ正義と叩き込まれていることが背景にあるように思えます(データはありません。わたしの主観です)。


Swimmyを読むのが楽しみ!

これはまた別の学生なのですが、この授業後にわたしのところへやってきて、「レオレオニって、『スイミー』を書いた人ですか?」と質問してきました。

実はこの次の授業でSwimmyを読むことにしていたのでとても驚きました。そうだよ、よく知ってるね、と答えると、小学校の国語で習った経験があり原作者の名前も覚えている、と。(これ、次の授業でわたしが仕掛ける手順なんですが、この学生は自力でそういう展開に持っていっていることにも驚き!)

驚きのあまり、つい「次の授業ではSwimmyを読むんだよ」とネタばらししてしまいました。すると、

本当ですか?!英語で?楽しみ!

授業後に感想を伝えてくれた学生のことばより

と言った後、

自分が日本語で読んで、日本語でできている『スイミー』の世界観があって、
でもそれを英語で読んだらどう感じるかが楽しみ!

授業後に感想を伝えてくれた学生のことばより

と語ってくれたのです。

彼の言葉を聞いてハッとしたのは、わたしの方でした。そう、わたしはそれが楽しくて、英文学の世界に入ったんだった、と。

わたしが英文科に進んだわけ

わたしは英語ではなく、国語が得意な中高生でした。

高校2年生のとき、いわゆる学力テストの英語の点数が伸びないことを悩んでいたわたしに、当時の担任(国語科)が「夏休みに英語で一冊本を読んでみたら」と勧めました。辞書を引かずに読める本がいいよと言われ、Alice’s Adventures in Wonderlandを読んだのです。もともと知っていた話だったこともあって、英語で文学を楽しむ感覚を味わい、いたく感動しました。進路は得意な国語を生かした国文学科にするか、苦手だけど気になる英文学科かを悩み、そのアリスの感動が忘れられなくて英文科に進みました。

いまわたしがSwimmyにこだわる理由に、ここも絡んでいるのかもしれない、と気づきました。小学校の国語で一度読んでいる『スイミー』の原作Swimmyに英語で出会い直すことで、学生が新たに得る何かがあることを信じているのかもしれません。

学生に期待すること

わたしは無意識に、自分が高校生のときに初めて感じた「原作と翻訳の世界観の違いを楽しむこと」を授業で提供しようとしていたのではないか、と気づきました。

それは英語を学んでいるからこそ、そして英語を学んでいる人にしか味わえない感覚で、それがこの学生のように英語を学ぶ意義(とまでいかなくても楽しみ)と思ってくれたらいいな、と。

学生には、大学生活のなかでこれまで出会ったことのない価値観やものの見方に、たくさん出会ってほしいと思います。そのなかで自分の大切にしている価値観に気づいたり、世の中にはいろいろな価値観をもっている人がいることに気づいたり、その気づきを得られるようなものの見方を身につけていってほしい。

わたしが英語教育という枠のなかで、英語を使って「聞く」「話す」「読む」「書く」をするなかで、実現したいことはこんなことなのかなあ。

学生から気づかされること、学ぶことは本当に多く、この仕事の醍醐味だなあと思います。

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