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子ども自身が「自分ごと」にする価値がある学び

英語教育にかぎったことではないが、こと「小学生」はどこまでも正直である。面白そうなことは、やる。つまらなさそうなことは、やらない。

授業は「導入」が生命線で、そこで「面白そう」と思えば、あとはこどもが勝手に学んでいく。

子どもたちが「やりたい」と思っている場合には、どんな失敗もその子の学びになるけど、子どもたいが「つまらない」と思ってやっている場合には、失敗は先生のせいにもなりうる。こんな面白くないことやらされたから、こんなことになった、みたいな。

子どもに裁量を持たせて、学びを子どもの「自分ごと」にする。うまくいったこともいかなかったことも、その子どもが「自分ごと」にして受け止めてくれればそれが学びなのだ。

英語スピーチコンテストは、よくもわるくも、すべての子どもにとって「自分ごと」だった。見にくる人にカッコいい自分を見てもらいたい、友達に認めてもらいたい、絶対にメダルを取りたい、自分の大好きなことをもっとみんなに語りたい、緊張する自分に勝ちたい、などなど。その理由は、取り組んだ子どもの数だけある。

それぞれが「自分ごと」にして、ともに何かに取り組んでいる教室は、よい「気」にあふれてなかなか居心地のよいものだ。



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