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そして彼女はエンターキーを押す

学校に一人くらいはいたのではないだろうか。
一日中、ヒトコトもしゃべらないような
影の薄い子。

彼女は、

チョークの粉が
黒板から落ちていくのを見つめる。

机の上に
空気の影が動くのを見つめる。

するとあっという間に
学校終了のチャイムが鳴った。

学校で起こったことは
ほとんど覚えていないが

チョークの粉が落ちていく間に
彼女は数日分のようにも感じられる
長い長い物語を想像していた。

家に帰ると
彼女は毎日ノートに向かった。

学校でほとんど誰ともしゃべってないから
伝えたい言葉があふれてくる。

そうして
ノートは
物語でうめつくされていき、

彼女の言葉は
ふと誰かの目に触れるようになる。

深瀬という
同じクラスの男の子。

「お前、全然しゃべらないけど
お前の文章って面白いのな」

彼女は目をまるくした。

「そういう才能があるのかもな」

「…ありがとう」

小さなその言葉は、机の片隅に落ち
すぐに消えた。

深瀬の言葉を皮切りに、
彼女の文章はだんだん沢山の人に読まれるようになり

彼女の文才を評価した教師は
彼女を文学の道へ進むよう促した。

彼女は受け取った言葉を
大切に大切に包んで
自分のアイデンティティに変えていった。

そんな彼女も今では2児の母であった。

彼女は作詞と作曲をしながら、
歌をうたっている。

人前に立つなんて考えられないほど
シャイだった彼女が
一体どうしてこうなったのか。

きっかけは、
深瀬の言葉だった。

大人になった彼女はFBで深瀬を見つける。

彼は今、あるジムで
トレーナーをしているようだった。

スポーツマンだった深瀬を思い出す。
正義感が強い眼差しをー

彼女は
彼に向けて長文のお礼メッセージを書いた
あれから、何があったかを。

彼に、感謝の気持ちを伝えたい

しかし

勢い良く書き綴った文章の終盤で
彼女はパタリと書くのをやめた…

彼は彼の人生を
彼女は彼女の人生を歩んできた

小学生から時が止まったままの関係

今更、彼にこの気持ちを伝えても
困惑させるだけかもしれない

彼女は考えた



それならば…

この広い海原に
感謝の言葉を放ってみよう

迷惑にならないように
名前は変えよう

ヒントは残しておく

もしも見つけてくれたら
きっと私が誰かわかるはず

「ありがとう深瀬くん」

そして彼女はエンターキーを押す

ボトルに入った彼女の言葉は
海の上にゆらゆらと浮かんだのだった…


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