白紙から考えるのと、考えたものを直すのと。
何かを改めて考え直すとき、「ゼロから考え直す」のと、「考えたものを修正する」のと、同じでない気がしない?
結果的に同じになったとしても、意味が違う気がしない?
私は、考えるプロセスが違うなら、同じ結果にならない可能性があると思ってて、結果的に同じでも同じでない気がしてしまう。
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先日プロジェクトで検討していて、仮説を改善していた。
仮説をアップデートしたら、その中で示すはずのできあがりのイメージもアップデート必要なはず。
仮説として、何をつくるツールかは変わらず、つくる手段を変え、効果の想定もちょっと変わった。
「AをつくるツールにおいてXという手段をつかってつくってP,Q,Rの効果があるとよいのではないか」
というのを
「AをつくるツールにおいてY,Zという手段をつかってつくってP',R,Sの効果があるとよいのではないか」
という感じ。
そのときに、はじめから検討し直して手段など変えてきたから、できあがりイメージも白紙から考えていかないか、と提案したら
「手段が変わってもつくるものは変わらないからできあがりイメージ変わらないだろう」
「すでに考えたものを修正する方が効率がいい」
と言われてしまった。
それはそれでわかるんだけど、白紙から考えると違うかもしれないじゃん、っていうのは全然わかってもらえなかった。
とりあえずその話は、ゼロから考えてもあまり変化なさそうと思って、修正点あれば修正ということでいいかって納得したのだけど。
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それはそれとして、ゼロから考え直すのと、考えていたものを直すのと、違ってくるものではないかっていうところはひっかかっているところ。
書き直すときには白紙から書き直したいという感じ。
書いたものを修正すると、同じ完成型を描いていてもなんか違ってしまう気がする。
書くとか描くとかの場合でなく、考えることにおいても、同じような「なんか違う」ものになる気がしてしまう。
たとえ目に見える結果として同じであっても。
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考えるプロセスが違ったら、違うものが出てくる可能性があると思っているので、その可能性が見れなくならないか?って思ってしまう。
そういう意味では、どっちも考えてみた上で同じかどうかを見たいとも思ってしまうかも。
その方が正しい判断ができそうな気がする。
でも単に私が考えるときに、白紙から考えてみる方が好きなだけかもしれない。
すでに書いたもの(考えたもの)をベースにして考えたら、そこにひっぱられて考えられない気がして苦手なだけかもしれない。
一部だけを直そうとするより、ゼロから積み上げて考えた方が、しっかり考えられたと思えるというのもあるかもしれない。
考えすぎなのかなぁとも思うし、考え方がずれてるのかもしれないけど。
でもやっぱり、しっかり考え直すってときには、白紙状態から考えてみる方がやりたいなと思う。
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