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美しいを基準に。

この写真をTwitterで見たとき、めちゃくちゃ好き!!!って思って思わず保存してしまった。
めっちゃいいよね!!って友達にメッセージした。
そんなくらい、このキャッチコピーが好きだなぁと思った。

「迷ったら、美しいほうへ」

山中俊治さん&千葉工業大学の「canguro」ポスター

このキャッチフレーズが、アート的なところでなくてテクノロジーに対してのものだという点もすごく好き。
というか山中俊治さんの作品が、技術と美しさと兼ね備えていてこの言葉どおりだと感じる。
写真のロボットそのまま、「最先端だからこそ、美しくありたい。」って感じがする。

「美しい義足」も同じ雰囲気だもんな。あれもすごく好き。さっきからすごく好きとしか書いてないけど。
あの製品を知って、機械の美しさというのを知ったのだ。
機能的でかつ美しい。かっこよさとなめらかな曲線美と。
機能的だから美しいのかな。そもそも自然とかもそういうものだもんな。

(どんどん話がずれそうだからこの話はまた今度書こうと思う。)

で、話し戻って。
「迷ったら、美しいほうへ。」

これは、テクノロジーに対してのメッセージだけども、すべてのことにおいてそうだなぁと思った。
少なくとも私は「美しい」ということが大事だと思うし、自分が美しいと思うもの、美しいと思うことを選びたいと思う。

美しいというのは、一般的に美しいと思われるものであるとかそういうのは関係なくて、自分がきれいだと思うもの、価値を感じるものだ。
「美しさ」ではなくて、「美しい」というのが、「美しい」って自分が思う感覚を指しているように私は思う。
私にはいろんなものについてのいろんな「きれい」があるけど、その「これがきれい!」っていうのを大切にしていたいと思う。
誰かが決める美しさでなく、単純に自分がいいなって思う美しさを。

手にするものというだけでなくて、自分の行動が、自分自身が、美しくあれることを基準に決めていけたらいいなと思う。
ほんとに、それはめちゃくちゃ理想。そうありたいと思う。

そうたいそうなことを言いつつ、全然そんな風にはできなくて。
美しさより楽なほうを選んでしまったり、めんどうになったり、適当に選んだり、妥協したりもしてしまう。
だらだらしていたり、ネガティブな感情にとらわれたり、醜い行動もしてしまう。
日々そんなのばっかりだ。

だから余計に「美しい」ことに憧れるのだとも思う。

でも、自分が美しくいられないとき、理想からかけはなれていくときって、やっぱりそのとき楽だろうがなんだろうが、後から後悔するもので。
なので自分に流されずに、「美しい」を基準にと唱えつついたいなと思う。

この写真を目につくところにおいておこうかな。
美しくいたいのだ、といつも思っておくために。

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