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意味とかなく好きなことをしたらいいよね。

メリットとか効果とか意味とか特にないまま、ただ楽しそうだからやるというのが、おもしろいし好きだなぁと思う。

でも結構無意識に、意味があるようにしないと、っていうように自分で制限かけてしまっていることもある。
最近は、おもしろければいいじゃんっていう気分が強いけど、余裕がないとつい、意味があることをしている方が安心なように思ってしまう。

子供がまだ小学生中学生くらいまでのときとかは、仕事のためだとか勉強だからとか、理由をつけて出かけることが多かったなぁと思う。
別にどんな理由だろうが、子供たちには関係ないのに、なんか自分が好きに自由にするには、もっともらしい理由がいるような気がしてしまっていた。

別に、遊ぶのでも仕事や勉強でも、出かけてるってこと自体は同じなんだし、どっちにしろ好きなことしてるのには変わらないし、何しててもいいはずなのに。
意味があるようなことだと自分に言い聞かせる必要なんてなくて、単に好きだからやりたいからってやればいいのに。

仕事を休むとき、体調不良以外だと、旅行に行くとか個人事業の仕事するとか勉強しに行くとか、子供の入学卒業や参観日などのためとか、何かのために休む、としがちだなぁと思う。
せっかく休むなら休んだ意味のある日にしなければと、いろいろ予定を詰め込んだりがんばったりしてしまう。

別に休むのに理由なくていいし、買い物してても寝ててものんびりカフェで本読んだりしても、何してもよくて自由なのに。

若い頃は、出かけるなら、ついでにちょっと足を伸ばしてどこか行こうとか、近くの誰かにも会いに行こうとか、ぎゅうぎゅうに予定を詰め込んで、充実した1日の気分になっていたりもした。
最近は多少余白もってゆっくりしようとするようにはなったけど、それでもまだ「せっかくだから」「もったいないから」と何か足そうとする癖が残っているなぁと思う。

時間は大事だし有限だし、だからその時間を有効に使いたいと思う。

だけど、「大事に」「有効に」っていうのがなんなんだろうね?

いろんな経験をしたいから、いろんな予定をいれたり、意味や価値があるようなことをしたりというのもいいのだけど。
せっかくだから、と入れた予定が、そのときにほんとにやりたいことなのかどうか。
今ほんとに求めてるのはなんなのか。

意味や価値って結局自分が決めることで、いろんなことをする価値っていうのもあるけど、そのときに自分が1番やりたいことをするのも価値だと思う。
なかなか普段できないこととか、はじめて体験したりすることとか、いろんなものを見たりすることとか、そういうハイなアッパーな感じの楽しい充実感もあるし。
ゆっくり休むとか、好きなことをひたすらしてるとか、のんびりまったり過ごすような幸せ感もある。

客観的な意味とか価値とかでなくて、自分がそのときに満足できるかどうか。

意味があるとか価値があるとか考えるとき、客観的な視点とか人からの見え方とかを意識してしまっているのが多い気がする。
正当っぽい理由になりそうな何かを探してしまっているように思う。

だけど、そのときに自分がやりたいことができるなら、人から見て意味とか価値とかなくても、自分にとっては意味があることで価値のある時間なんだよな。
だから、特に意味とか求めずに、好きなことをやりたいようにやればいいんだよなぁと思う。

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