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手放すことで状況が動く。


やりたいことがあるなら、種をまいていると芽が出るときがくる。
いろんな種がつながって、芽や実になったりする。


まいた種があれこれとつながっていくとき、「伏線を回収した」ような気分にもなる。
こんなところがこうつながったか!という。

*

そういう風につながって芽になり実ができていくときは、やっぱり

・何かしら動いている
 (やりたいと伝えたり、やってみたり、近いことだけでもしてたり)
・チャンスぽいのを逃さない
 (とりあえずやってみる、手をあげるなど)

というのはあるのだけど、大きく動くときってそれだけではない気がしている。

動くとかチャンスをつかむのとかだけでの結果は、ある程度予定調和の中、想定内でもありうるというか。
計画的に進めて結果を出すときと似てる
動いたら何かは起こるし、チャンス取りにいけば何かが起こる。

そうでなく、想定外につながっていったり、想定外の動きがあるとき、もともとやりたいと思っていたことを、いったん手放している気がする。

*

いったん手放しているというのは、やめたりあきらめたりと投げやりになっているとかでなく、結果に執着していないような状態。

どうでもいい、ではなく、なるようになる、というか。
なるようになると言っても、運任せというのでもなく、いつか実を結ばせるつもりで動いてる気はするけど。

こだわりを手放しているのかな?
こうあるべき、こう進むはず、これが絶対!というこだわり。
たとえば、どうしてもこうならなくてはならないと理想を求めるのではなくて、一部でもできたらいい、とっかかりができたらいい、方向性同じならいい、みたいな。それは途中経過でそこを足がかりに進められたらいい、というような。
(と書いてみたけどたとえが違う気もする。こういうのでもいいとも別に思ってなくて、ただそういう結果になっただけかもしれない。)

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うまく言えないけど、執着なくなって鷹揚な感じおおらかに受け取れる状態みたいなときに、なんか動いたりするように思う。

ただそれも、なんか動くの狙ってそういう状態でいようとするのではなくて、そこまでいくまでに、いろいろ試したり足掻いたりしていて、その結果そこにたどり着いたからそうなるのかなとも思うのだ。

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