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憧れても自分ができるのは違うこと。

先日、グラフィックファシリテーションをしている方の、研究や実験の報告をお聞きした。
どんな想いをもって未来を描いて、どのような活動や研究をしてきたのか、お話を聞けてすごくよかった。
参考になったし学びになったし憧れる。

私がいつかやれるようになりたいことをすでにやっていて、描かれる世界観もすごく好きで。
がっつり描いているところを見たり体験したりしたいなぁと思ってしまう。
そのファシリテーションのやり方を、エッセンスだけでも受け取ってみたくて。

描かれたものを見ても、そこに現れているものは、グラファシで行われたことのごくごく一部でしかないと思うから。
描かれた結果だし、プロセスも見えてはくるのだろうけど、私が知りたいのは、描かれにくい空気や感覚の部分。

で、研究内容やお話を聞いて、やっぱり、これまでの経験とか学んできたこととかが、そのあり方や世界に出てくるのだなぁと思った。

だから、いくら憧れたりすごいなと思っても、いくら体験してみたとしても、それは絶対まねできなくて。
表面的にまねしようとしてみたところで全然違うものでしかなくて。
憧れるけど、いいなと思うけど、そんな風にはなれないのだ。

大きなくくりでは同じような世界を目指しているのだと思うけど(というのもおこがましいけど)、同じようなことをしたくても、きっと違う世界を描くのだろうし、自分の世界にしかならないのだろう。
いくらまねしようとしても、たとえまんがいちスキルなどはまねできたとしても、私が描いたら私の世界しか描けないし、私がファシリテーションしたら私のファシリテーションにしかなれない。

彼女の描くものや描いていくプロセスは彼女にしかできなくて、まねしたいと思うことさえ違う気がする。
生き方やあり方をまねすることなんてできないから。

そんなのあたりまえだし、わかっているはずなのに、それでも、何か少しでも近づけないかと、体験して体感したくなってしまう。
彼女の持っていたり与えていたりするエッセンスのカケラを少しでも吸収できないだろうかと思って。

自分の描ける世界を磨いた方がいいはずだし、そもそもそれ以外にできないのに、自分が持ってないから余計に憧れてしまうんだよな。

憧れるしすごいなと思うし学びたいことはたくさんあるけど、まねしようとかするのでなく、自分がつくれる世界は何かを考えたいと思う。

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