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ちょっとでも違うものは違うものとして認識したい。

ふと思いついて、あまり自分が感じてきていないなぁと思った感覚と、似たような感覚を探してみた。

別にいつもここまで細かく考えているわけではないけど、感情を表す言葉って大雑把すぎるのではって言う気がする。

「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「怒り」...
一応たくさんの言葉はあるんだけど、そんなざっくりひとくくりではないよね?って思う。

「嬉しい」の中にもいろんな雰囲気、いろんなトーンの「嬉しい」があるし。すごく幅広い。多様。
それをただ「嬉しい」って一言で表現するのってどうなんだ?っていう。
(もちろん、「嬉しい」だけでなくほかの言葉も同様。)

人によって違うだけでなくて、同じ人が同じことについて「嬉しい」であったって、1回目と2回目とでは違うだろうと思う。すごく似ていても同じじゃない。だってはじめてのとそれ以降って絶対違うし。たとえば99回目と100回目とかならほぼ同じとかになるかもだけど。
けどそれだって、回数以外の条件がまったく同じだったらってだけで、たいていはほかの条件が異なるだろうからまったく同じになんてならないだろうと思う。
条件っていうのは、シチュエーションとか登場人物みたいな目に見えることだけでなくて、その人の体調とか気分とかその前後にあった状況とか、目に見えないことだって影響するはずで。というかむしろそういう目に見えないところの影響のほうが大きいと思う。
感情って心が動くときだから、内面的なことの違いが、心の動き方の違いに出てくるだろう。

って思ったら、まったく同じ感情ってありえないんだよな、ほんとは。きっと。

まったく同じのはないっていうのはまぁおいておくとしても(そこまで1個1個感情に名前つけたりできないし)「嬉しい」などとひとくくりはやっぱりどう考えても大雑把だと思う。

「嬉しい」という感覚を想像したときに、どんな感覚になるかって結構違うんじゃない?そんなに違わないのかな?
自分の中でもいろいろあるのだから、差がありそうなものだけど。(でも1番オーソドックスなイメージをみんな持つのかもしれない)

差があったら、同じ「嬉しい」という言葉をみて、受け取っている内容が違うってことで、共感するっていっても全然違う感覚をイメージしているのではないか?って思ってしまう。
どうなんだろう?

もっと細かく、どういう嬉しいかがわかるような表現でないと、全然違うイメージ伝えてしまうことにならないか?
まぁ、小説だとかエッセイだとか映画やドラマとかそういうのは、前後のやりとりとかもあって想像するから、似たような感じにできるのかもしれないけども。

感情表現っていう意味だと、古典にでてくる言葉は、そういった感情の小さなさについてそれぞれ言葉がある感じでいいなと思う。ぴったりくる言葉が見つかりそうで。でも1つの言葉の持つ意味も多いから、どう解釈するのか難しいけど。かけ言葉とかまであってそんな意味もこめての表現だと読み解けなかったら全然違っちゃう気もしなくはないけど。

でもそういう小さな違いを、違う感情だとして表現するっていう、そういうところ自体が好き。

古典でいろんな表現があるのは感情表現だけではないと思うけど。自然に対する表現とかも。
たとえば夜の表現とかもたくさんで好き。それぞれの表情違う夜の感じを、わかるようにしているんだなって思って。
色の表現も好き。空とか植物とかの微妙な色の違いを、その名前で表してるのすごい好き。

そういう、ざっくりひとくくりにしないで、違う感じをとらえてぴったりな言葉を選ぶ感じがいいなと思う。

ひとくくりになんとなく包括してしまう表現ではなくて、それぞれ違うのを、それぞれに合ったように表現したいし理解したいんだな。多分。

古典の表現使いたいわけではないのだけど、そういう風にちょっとした違いを表現で表せるようになりたいなぁと思う。

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