見出し画像

楽しみとかやりがいとかあるのがすごいってわけじゃない。

仕事が楽しいとか、仕事にやりがいを感じるとか、よいことだとは思うけど、だからみんなそうなるといいね!とは言えない。

何が楽しいか、何が楽しいのがいいか、何にやりがいを感じているか、人それぞれだよね?

仕事楽しかったり、仕事にやりがいがあったりして、それがよかったと感じている人がいるのはわかる。
そういう人が仕事楽しいのがいいよ!やりがいあるといいよ!って言いたくなるのもわかる。

でも、自分がいいというのと、ほかの人もいいというのは別なのに。
なんで一般論として「仕事を楽しく」「仕事にやりがいを」ってなりがちなのかな?と思う。

*

仕事が楽しくなくても、やりがいがなくても、別に仕事をちゃんとやってたら何も問題ないはず。
モチベーション高くなくても、やることやってたらいいはず。

楽しみややりがいがあるのがえらいわけでもなく、お金や権力のためならよくないわけでもなく。
楽しみややりがいがないとモチベーション上がらないわけでもなく。

仕事へのモチベーションが、楽しさとかやりがいみたいな内的動機でなくたって、お金やポジションや評価といった外的動機でもいいじゃん?
内的動機の方が人に左右されずにモチベーション続くように思われるけど、それも人それぞれだとも思う。
自分の中に動機があれば、モチベーションは外からの影響で下がりにくいけど自分次第で保たなくなるし、外に動機があれざモチベーションは、外からの影響で左右されるけど、よい影響ある限り安定しやすくなると思う。

*

知り合いの方で、めちゃくちゃ大好きな趣味があって、仕事はその趣味のためのベースだと割り切っている方がいる。
趣味のために好きなときに休みを取りたいからと、普段から仕事を完璧にしていていつ休み取っても大丈夫、自由に休みを取ってそれでも必要とされる状況にしているみたい。

そういう場合、仕事自体にやりがいあるかに関わらず、仕事もしっかりやって成果出してるってことだと思う。


後輩で、仕事がすごく好きとかでないけど、子供の進学のためにはお金貯めたいし仕事続けていると言っていた人もいる。
でも仕事しっかりしてるし上司からも先輩後輩からも期待されたり憧れられたりしている。

結果的には、期待に応えようとがんばっていてやりがいも感じていそうだけど、でもきっかけの同期がお金であっても何も問題ない。

楽しみややりがいは、仕事にあってもいいし、仕事以外であってもいい。
そういうことじゃない?

*

仕事が楽しいという人、やりがいあるという人って、いきいきと働いていらっしゃるし、それをよい事例としてロールモデルのように紹介されがちで。
そうすると、仕事を楽しんでいたりやりがい持ってる方がすごいえらいと見えがちで。

でもそれだけがいいのではなくて、いろんな価値観のいろんかモデルがあるわけなので。
何がいいとされているか、でなくて、自分は何が大事なのかで、なりたい姿を描けるのがいいよね。

一般論としてどうなのかにとらわれずに、どうしたいか考えられるといいなと思うのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?