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違うようで同じことをやっている。

誰かとうまく話せないというとき、単に、まだうまく話せていないだけ、ということが多いのではないかと思う。

ちょっと話しただけではうまく話せないけど、そこからまだまだいろんな工夫の余地がある、会話や関係性を育てる余地がある、ってことがあるのではないだろうか。



そんなことない、いろんなことをやってきた、という人もいるだろう。

伝え方とかのテクニックがあることは知られているし、うまくいかないときにはそういううまくいくためのノウハウを試そうとする人も多いと思う。

何度も伝えているのを見ることもある。
言い方変えているなぁと、それだけ伝えたいんだなぁと、見てて伝わることもある。
客観的に見てたら伝えたい気持ちは伝わるけど、伝えたい相手には伝わってなさそうで、大変だなぁと思うこともある。

伝えるためにがんばりたい人も、がんばっている人も、たくさんいるとも思う。

でもそれは、ほんとに「いろんなこと」をやってきた?



いろんな伝え方、いろんな態度などを試したりしていても、根本的に同じことをしていない?

どうやって、自分の言ってることを受け取ってもらうか、理解してもらうか、理解して意図に沿って動いてもらうか、ということを、伝え方や態度を変えながら試行錯誤しているだけじゃない?
試行錯誤しているのはいいことなんだけど、「自分の言ってることをわかってもらう」ところは変わっていない。

伝え方を変えてみているけど、指示しようが、ほめておだてようが、下手に出ようが、脅してみようが、全部、やってることは同じなのだ。
どれも結局、自分の言うことを聞いてほしいのだ。
相手を思うようにコントロールするために、手段を変えてみたというだけ。

いくら伝え方を変えてみても、自分から相手への一方通行の矢印のまま、相手のことを見ていなかったら、変わりにくいと思う。

何もしないよりいいし、何も変えないよりは全然変わると思うけど、でも結局同じことをしているだかだから。

一方通行を双方向に、自分の思いを押していくだけでなくて、相手の思いも考えてみたり聞いてみたりしていく方が、伝わりやすくなる。
聞いてもらえたり、わかってもらえたと思う方が、その相手の話も聞きたくなるじゃん?
話し合えたら、合わないこともすり合わせできたりするじゃん?

伝え方や話し方っていうようか表面のところでなく、自分を変えるのだと思う。

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