すごい人が最初からすごいわけじゃない。
何かをやりたいとか、何かを手にいれたいとか思うとき。
自分には手が届かない、届くかわからないと思うと、その思いをなかったことにしてしまうことはない?
そんな風にして、「やりたいことがない」ってなる人もいるのではないかと思う。
で、そんな風に「ない」って言うのに、「ある」ものも見てなかったりする。
わざわざ手の届きにくそうなキラキラ事例とか見ておいて、そんなにすごいやりたいことはない!ってなってるけど。
別にすごいことをしないといけないわけでもないし、そんな事例と比べなくていいじゃん。
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「やりたいことが見つからない」から、と言って、いろんなキャリアの人の事例が知りたいとか言いながら、事例を知ると
「こんな人は別格だから」
「あの人ならできるだろうけど(自分は無理)」
「あのキャラだからできるだけ」
とか言う人がいる。
そんなの、だいたい、事例としてインタビュー受けてたりとか、話そうとしてくれる人とかって、結果を出してるから話してくれたりしているわけで。
で、だいたいの人が、どうしたらうまくいくのか、成果につながるのかとか知りたいわけで。
結果的に、うまくいった話とその理由とかそこまでの紆余曲折、みたいは話になりがちだと思う。
そんな風に編集したり誘導したりもするとも思う。その方が興味を持たれるから。
そんな風に切り取られているものを見て比べていたら、本来見えるものもあるものも見えなくなる。
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すごい人が最初からすごいことを成し遂げているわけではないと思う。
いろいろ試してみたり、どんどん何かをやっていって、その中で失敗もたくさんしてきて、その結果すごいことができたのだと思う。
(もちろん最初からうまくいくこともあるとは思うけど。)
たくさん試したら、何かうまくいく数も増えるし。
諦めずにやり続けたら、結果につながる数も増える。
授業も受けずに問題集も解かずに一発で正解出したらすごいけど、ちゃんと授業受けて問題集で練習しまくって正解出してもまぁそんなものかなってなるじゃん?
たくさん問題解いてたら、100点取りやすくなるじゃん?
それと同じだと思う。
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「あんな風にできない」「そこまでできない」とか言うけど、別に、何かすごいと思う人のやってることそのままなぞる必要ないし、同じくらいやらないといけないわけじゃない。
すごいなと思って、憧れたりするなら、その中で自分のやりたいことをやるために必要かな要素だけまねしたっていいし。
すごいと思っても憧れていても、自分のやりたいこととは全然違うことだってある。
もし、誰かの似たようなことがやりたかったり、憧れてまねしたりしたいなら、できるところからやったらいいと思う。
別にその人が、最初から今見ているその人なわけじゃなくて、積み重ねてきた結果だよね?
最初から全部もまねしようとか思うことが意味ないと思う。
誰かとか何かとかと比べたり誰かを見たりする必要はまったくないんだけど、もし参考にしたりしたいなら、できない部分を見てできない理由をつくるのでなくて、できそうなことを見つけるために見るのがいいよね。
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