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いますぐの喜びと未来の喜び。

ただ単に楽しんだりすることに罪悪感、と書いていて思い出したのだけど、

未来のためにがんばるのでなく、いますぐ目の前にある楽しみにとびつくようなのに罪悪感がある。

いますぐのこの瞬間の喜びを求めるのと、未来の喜びのためにがんばるのと、どっちが大事だろう?というと、未来のためにがんばるのがいいと考えられていると思う。
私もそう思う。
今だけ楽しくても未来がなかったら困るよね。

でもそれはほんとなのかな?とも思って。

その二択どちらかという話なのかな?とも思って。

*

未来がなかったら困るけど、いまというときも大事だと思う。
いまを犠牲にして、いま我慢ばかりで、その分未来への投資をするというようなのは違う気がする。

だけどそういうのが多いと思うのだけど。

いまここ、というように、いま自分がいるそのときその場所その相手に集中することが、充実した時間をつくるしその状況をよいものにする。
だから、いまを大事にしないと、よい未来にならないとも思う。
いまの積み重ねが未来になる。

だったら、いまを思いっきり楽しまないとってことにならない?

*

いま楽しんでいるのがよくないというのは、ほんとはやるべきこのややりたいことがあるのに、楽な方に流れてたり現実逃避しているようなときかなと思う。

いまやりたいことをやって楽しんでいて、そうしていることが喜びで幸せで満足だというならそれはいいことだよね?
それが積み重ねられるならすごく嬉しくて、そうやってたどり着く未来はやっぱり幸せで満足だと思う。

そういう風にできたら、いまも未来も楽しくて幸せ。
いまを犠牲にして未来を幸せにとか、いま楽しんで未来が見えないとか、両極どちらかっていうのが違うよね。
もちろん両極でなくてその間のどこかでバランス取るのだと思うけど、何かが犠牲になる前提なのがどうなのかな?と。

いまを犠牲に、いまを我慢してっていうのは、そうしないと届かない未来っていうのは、ほんとに目指したい未来なのか?というのも考えてみてもいいかもしれない。
ほんとにやりたいことなら、大変なことがあっても、犠牲とか我慢ではない気がして、そういう気持ちになるなら自分がほんとに手に入れたい未来ではない可能性もあるよね。

ほんとのほんとにどうしたい?
これはいつも自分でも考えていたいこと。


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