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違うことを許容できないのはつかれてるから。

子供の頃、特に小学生の頃は、人と意見が違っていたら、説得したり戦ったりしていた。
どっちが正しいのかの勝負みたいになっていた。

高校くらいから社会人になってしばらくくらいは、まわりの人とか大多数の人とかに合わせられるようにしていた。
闘うのがめんどうになってたし、どうしても主張したいほどのこともないし、いろんな人がいるのも理解できたし、合わないなら距離おけばいいし。

その後いろいろ紆余曲折あって、自分と全然違う意見でもまったく価値観違っても、それはそれでいいんじゃない?って思うようになった。
私に何か影響あって困ることになるなら干渉するけど、そうでないならそれぞれの自由だし人がとやかく言うことではない。

そう思っているのに、人の考え方にもやっといらっとしていることがある。

たいていは、会社での話で、会社なんていろんな人がいて価値観同じなわけないから、いちいちいらっとしててもしかたないのに。
それなのに、わざわざ、ほんと理解できないわー!っていらっとする。
価値観違う人の考えてることが、自分には理解できないのも納得できないのもあたりまえなのに。

考えが違うこと自体はどうしようもなくて、ただ違うだけだから、押し付けられたりするわけでなかったらほっといたらいい。
いらっとしている時間とかエネルギーは無駄でしかない。

関わらないといけないならどうすり合わせるのかを考えるだけ。
いらいらしてるくらいならどうしたらいいか考えて進めたらいい。

だいたいは、どうもしなくていいところを見聞きしては勝手にいらっとしているだけだ。

そんなときは、たいてい、つかれているときだなぁと思う。
身体的につかれてるときもあるし、ストレスたまってるとかのときもあるし。
余裕がなくなってるから、無駄にいらっとする。
スルーする余裕がなかったり、距離おく余裕がなかったり、俯瞰して見れてなかったり。

なんか無駄にいらっとしてるなぁとか、やたらといらいらしているなぁというときは、まず休むのがいいよね。
単につかれていらっとしやすくなってるなら、いらいらしてはエネルギー使うのが余計につかれるだけだから。
いらっとすることでもないことに、エネルギー使ってるかもしれないから。
つかれが取れてからでもいらっとするなら、なんかそのとき考えたらいいのだと思う。

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