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すごいから違うからを言い訳にしない。

「あの人だから」「自分とは違うから」とちゃんと見ようとしないのは、可能性を切り捨てていると思うしもったいないと思う。

一方で、比較しては必要なくへこんだりしないようにという意味では、いったん、人は自分とは違うものなのだと他人と自分を離して考えることも大事だとも思うけど。

ただ、「あの人だから」という言い方は、そもそも比較の対象でない、くらいのイメージを受ける。
すごいと思うけど、そこを目指したいわけではない、みたいな。
(もちろん使い方は人によるだろうけど、よく聞く雰囲気ではなんとなく。)

目指さないのはいいのだけど、というかどんな人についても、人と同じようになろうとする必要はないのだけど。
まねできそうに見える人はまねしたいと思える、まねできなさそうならまねしたいと思えない、になってない?

あの人だから、と言うとき、
「もともと持ってる才能とか、人柄やキャラクターとか、努力でないところで力を発揮しているからまねできない」
というパターンと
「あれこれ努力していたり行動していたりするのはわかるけど、そこまでやる?そんなことやる?」
というパターンがあるように思う。

全然違う見方のように見えるけど、どちらも、「そんな風にがんばれない」という点で共通しているように思う。

努力でなんとかなるところでないからがんばらない。
そこまで努力するところだと思えない部分なのでがんばらない。

あの人だからできる、を言い訳にして、がんばろうとしてない、がんばることから逃げているのかもしれない。
そんなことない?

自分もときどき「あの人だからできるけどさ…」と思ってしまうので、余計にそう思う。

あの人だから、と言ってても、才能やキャラクターとしてやってるような以外での行動も知っていたりして、学べるとか。才能やキャラクターとしてやっているように見える部分をスキルで補うとか。
ほんとは何かできることがある。

そこまでやれないと思うような熱量や時間を費やしているのは、そこまでやらなくてもいいけどもう少し費やしてみたら変わることがあるかもしれないし。
そんな大胆な提案できないと思うけど、別に勇気がないとか失敗したくないとかだけでできないわけではなかったり。
やる気になればやれることがある。

別に、すごいと思うならまねしてやってみたらいい、とかではなくて。
全然人のまねするのを勧めたいわけではなくて。

ただ、この人と違う、というのを、やらない理由にしない方がいいと思う。

自分はそこを目指していないから、自分はほかの方法でやるから、自分はここまでがんばるとしたから、自分でやってみても無理だったから、などと、自分がどうしたいかどう思うかを理由に、何をどのようにがんばるのか、何をして何をしないのか、決めるのがいいよね。

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