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弱みは克服するべきなのか?

先日友人と話していたときに、「弱みを克服しよう」というような内容のコンテンツを売っているキャリアコンサルタントの人がいる、という話を聞いて驚いた。
というか、いったい何を教えてるんだ?という気分。
そんなひと昔前みたいなキャリア観で人のキャリアに介入するのはどうかと思う。
(それは私の考え方であって、価値観や考え方の違いで個々の自由かもしれないけど、それでもなんだかなぁと思ってしまう。)

そもそも、弱みってなんだ?っていう話。

ただ、なんらかの特性や資質などがあるだけで、それはどんな風にも使いようがあるものなのに。

それを、強みとか弱みとかジャッジしているのは誰なのだ?
何のためにジャッジしてカテゴライズしているんだろう?

個人的には、管理したり指導したりする側が、都合のよい特性や資質、伸ばしたいスキルとかを強みなどと呼び、そこでは不都合だったり不便だったりする特性や資質を、弱みなどと定義しているだけだと思う。

子供の頃、言われたとおりにできなかったり、みんなに合わせるとかできなかったりすると、注意されたりするじゃん?
ルールどおりにまわりと同じようにできるのが望まれたりするじゃん?
そのときの「強み」は協調性とか従順とか空気を読むとかそういうので、独自性とか独立性とか空気を読まないとかは「弱み」扱いされると思うんだけど、社会に出たら、独創的なアイディアとかまわりに合わせずに突き抜けるとかが「強み」とされたりする。

どこで、どんな人が、何を求めているかによって、同じことでも強みとなり弱みとなる。
そんな程度のものだから、「強み」だとか「弱み」だとか考えなくてよくて、「弱み」だから克服しないととか思わなくてよい。

今ある自分の特性や資質はなんなのか?
それをどうやって生かせそうか?
やりたいことにはどう使うのがよさそうか?

考えるのはそういうところ。

弱みを克服しようというのは、その「弱み」っぽく見える特性や資質をつぶすってことだと思う。
どこかで「強み」のような扱いをされるかもしれないものを、わざわざわからなくする必要ある?
平均的なことなどは目立ちもしないのだから、「弱み」だと思うような何かは、ほかの人と差がある個性ってことだ。
弱みとして使いたいならそれでもいいけど、うまく使う方が楽しいし得じゃない?

だから「弱み」だと思うことがあるなら、弱いか強いかとか関係なく、ただフラットに、どんな特性や資質なんだろう?どういう風に使えるだろう?って考えてみたらいいと思う。
人の評価に頼らないで、自分で自分の力をうまく使えたらいいよね。

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