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「やりたいことをやる」の前に「やりたいと思うこと」が必要なのではないか。

がんばりたいことがあるなら、やってみたいことがあるなら、やってみることが簡単にできるのがいいと思う。

そういう環境とか空気があれば、そういう風にチャレンジする人が増えたら、みんなやりやすくなるのではないかと思う。

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でも、そういうのは甘いのかな?とも考えてもしまう。

自分が何かするときに、やりやすい状況だったら動きやすいだろうと思うから、そう考えるのかもしれない、って思って。

ほんとにめちゃくちゃやりたいなら、環境があればとか言わずにやりたくてやってしまうものだとも思うから。

実際に、やりたかったからやっているという人も見てきているし、それは社外とか起業した人とかだけでなく、社内でも何人かいる。
同じ会社で動けている人がいるのだから、環境だけが問題ではないはずなんだよね。(もちろん部署や上司が違えば環境もかなり変わるけど。)
いくら環境がよくたって、必要なのはやりたいという気持ちややるっていう意思なので、環境とか空気とか人とかは、後押しできるとかじゃましないとかそういうだけのものでもあるとは思う。

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ただ、「やってみたい」「チャレンジしたい」って言いにくい動きにくい状況にいると、「やってみたい」「チャレンジしたい」って気持ち自体もなくなってくるのではないかと思う。

言われたことをする、言われたことを覚える、まわりに合わせる、答えを探す。
そういうことを、子供の頃から家でも学校でもやってきて、会社にはいっても同じようなことが多くて、やってみたいからやるっていう経験って結構少ないのではないかなと。人によるとは思うけど。

使わない筋肉が衰えるように、使わない感覚や感情も衰える。

だから、「やってみたい」「チャレンジしたい」というように気持ちが動くのを衰えさせないための環境とか、取り戻すための環境は必要なんじゃないんかと思っている。

いろんなことをやってみている人とか、思い切ったことをやる人とか、「あの人だからできる」「自分とは違うから」って言うような人も多いけど、才能とか知識経験とかがその人ならではっていうのはあるだろうけど、やってみるっていうことができるのは訓練とか習慣だとも思う。
やってみる、思いついたらやる、っていうのをさらっとできる人は、それまでそういう風に動いてきた経験を積んでいるのだと思う。

環境や空気(風土)やまわりの人によって、経験を積みやすいかどうかは違うけども、でも経験を積むのは自分でもやっていける。
いきなり大きな何かをやらなくても、ごく小さなことで経験していけばいい。
まわりの環境を変えることは難しくても、そうやって自分だけの環境なら変えていける。

種をまくために(やってみたいと思うようになるために)、種を育てるために(やってみたかったら動こうとできるように)、ちょっとずつでも土壌を耕して(経験積んで慣れて)いけばいいのだと思う。

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