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期待しないのと諦めるのと。

期待しないのと、諦めてしまうのと、似ているようで違う。

期待しない、というのは、誰かに何かに期待して、こうしてほしいこうなってほしいと望みを押しつけないという感じ。
どうにかしてほしいなんとかなってほしいと、自分以外を宛にしないけど、自分はなんとかしたくてがんばる感じ。

諦めるというのは、結果自体を期待しない感じ。
自分がなんとかしたいなんとかしようと思うのをやめて、もういいやってなっている感じ。

手放すのと、捨てるのとの差かな?
あくまでも私の主観での違いだけど。

なんでこんなことを考えてみたのかというと、期待しないで手放すって姿勢でいるつもりで、諦めていることが増えたかなって思ったからだ。

もともと子供の頃とか学生の頃とか、かなり完璧主義だったし、なかなか諦めることを知らなかった。
小さい頃はそれを人に押し付けたかったし、押し付けるのが無理なら自分が肩代わりしてでも自分の理想に近づけたかった。(グループワークでやる気ない人の分代わりにやるとか。)
徐々に、人にまで何かを求めるのはあまりしなくなったけど、自分だけでできることはひたすら思うようにやるとか、自分がこうだと譲れないところは戦うとかしていた。結果で説得するか、議論して説得するか、みたいな。

人を変えようとしない、というのを覚えたのはせいぜいここ10年くらいのことだと思う。
人を変えようとしない、変わってもらうことを期待しない、自分が変わることでなんとかしたらいい(もしくは何もしない)と考えるようになって、過剰な期待とか執着とか減って楽になったはず。

と思ってたけど、楽になるのでなく、もやっとしたままでいるのが多くなっていて、期待しないのでなくて諦めてるなって気がする。
やりきって諦めたのでなく、やる前に諦めたなっていう。飲み込んだ感じのもやもや。
めんどうだ、無駄だって思って。自分の納得いくまでやるために誰かと向き合う必要があるとき、それを避けて合わせる方が楽って思う。
向き合うためのエネルギー使う意味がないって思ってしまう。

つかれてるからそんなところでエネルギー使ってられないし、と思ってたけど、飲み込んで溜め込んでいたりするからエネルギー消耗しているのかもなとも思って。

期待しないというのを言い訳にして諦めないようにしようと思う。

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