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数回話せなかったからってずっと話せないわけではない。

何回か話してみて、うまく伝わらないとか。
いろいろ話そうとしてみたのに、会話にならないとか。
意見が合わなくて聞く耳持ってもらえないとか。

そういうことがあると、がっかりしたりいらっとしたりしてしまうこともある。

でも、そこからどうするか?
無理だと諦めるのか、強引に言うこと聞かせたりするように進めるのか、もっと話してみるのか。

先日、業務改善の検討をしている中で、以前、ちょっとうまく話せなくて機嫌損ねさせたかも、と話したことがある人について、どうやったら話せるだろうか、と言っていたら
「うまく話せないって言ってなかった?」
「話せそうなの?」
と言われて、びっくりしたのだった。

(そもそもそんなに困ってるほどではなくて、「あの人癖あるから話しにくいよ」って言われてたのに対して、「話してみたけどそうだった」くらいのつもりだった。)

話せない、って言うほど話してみていないのに、話せないだろうって判断してしまうっていうこと?
話せない、無理、で終われる距離感ならいいけど、仕事するのにそんなわけにもいかなくない?


たかが何回か試してうまくいかないからって、どうせ無理だなぁ、と諦めるところではない。

そもそも関係性もできてない状態で、スムーズにやりとりできるものだという前提でいるのが傲慢なように思う。
仕事とかで目的や背景などが共有されてたりするなら、伝わらないの?わかってくれないの?って思っちゃったりするけど。

伝わらない前提のところから、どうやって理解してもらつたり認識合わせたりしていくかだ。

何回も何回も何回も、伝え方を変えてみたり、いろんな工夫をしたり、手を替え品を替えやって、試してみる。
それでも無理だったら、これは無理かなぁって思ってしまうけど、数回話すくらいってスタート地点じゃない?


何回か話して会話にならなくても、どうせこんな人だから無理だ、と決めつけるところではない。

というか、それまでの受け答えや対応を見て「こんなタイプの人」などと、カテゴライズするのは仕方ないとしても、「こんなタイプの人だからなぁ」って思いながら話して、うまくやりとりできると思う?

「こういう人」と見ていたら、「こういう人」と扱っていて、そのイメージの中でやりとりすることになってしまう。
見たいように見えるものだし、扱っているようになるものだから、そのとおりになりがちだし。
フィルターかけて見ていることは伝わってしまうと思う。

そんな感じのまま、何回話してみたって、うまくいかなくない?

数回話しただけで、というよりは、関係性もできてない中で数回話しただけで、話せないと判断するほどではない。
(話したくない、とかは置いておく。)

何回もあれこれ話してみるというのも、何回も話してたらスムーズにやりとりできる、というのでなく、何回も話しているうちに、相手の癖などが見えてきて、よりよい話し方がわかってくる。
話すことで相手を知れるということだ。
しつこく話しながら関係性を育てられるというだけだ。

決めつけてしまわないというのも、そのときの関係性のまま関係を固定しないということ。
お互い変わるし、その中で関係性も変えられるし、相手は変えられなくても関係性を育てることで変わっていくものがある。

ある程度関係性できてから、そこからが、伝えたいことを伝えていくフェーズじゃない?

それくらい、じっくり話そうとして、ゆっくり関係性つくっていって、「話せる」「伝わる」にしていくのだと思う。

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