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自分が見えない世界を見たい。

わからないことを知るのはおもしろいなぁと思っているのもあって、私は結構知りたがり聞きたがりだと思う。

でも、よく考えたら、いろんなことをなんでも知りたい、世の中のすべてのことを知りたいっていうわけではない。
自分で情報取りに行くような、興味関心のある領域はある程度決まっているし、あとは流れてきて気になったことを知りたくなるくらい。

領域関係なく聞きたくなるのって、だいたいは、誰かが語っている話だなぁと思った。
誰かが語ることで、特に熱を持って語っていることで、「おもしろい話」になると思う。



その人からそのものごとがどんな風に見えるのか、何が興味深くその人を惹きつけるのか、そういうのがおもしろい。
私には見えてない視点や着眼点で、私には見えない世界を見ている、それがおもしろくて、語ってもらえることでその世界がのぞけるのがおもしろい。

対象の内容について知っているかどうか関係なく、自分でない人がその人独自の視点で見ていること、その人の考えや信念のもとに見て感じて判断していることって、私にとっては新しいことで知らないことだ。
すごく興味ある分野かどうか関係なく、誰かの世界観の中でその人にだけ見えることが語られるということ自体がおもしろいと思う。

同じものを見ていても、見えるものや感じるものや考えることはそれぞれで、そのそれぞれ具合が楽しいと思う。
その人が語ることで、何かのできごとなり経験なり学問なりすべてが、その人が見ている物語になる。

誰かが語っている、その人の世界を見てみたい、その人の頭の中を見てみたい、というのはすごく強いかもしれない。
なんでこんな風に考えるんだろう?何を知ってて何が見えてどうつながってこんなことが浮かぶんだろう?とか、そういうところを聞きたがるのは昔からだなぁと思う。
それが、人に対する興味になるときと、その先の何かの分野への興味になるときとあるかな。

何かを深めている人とか、めちゃくちゃ好きなものがある人とかに憧れるのは、そういう人が語ることは一般論ではなくて、その人が見ている世界を語るからかもな。
何かに夢中になっている人は、その夢中になっていることへの、その人だけの視点や世界観を持っていて、話を聞いているとその世界が見えることとか、それを語るときのエネルギーや空気など含めてそこにひきこまれる感が、楽しくて好きだなぁと思う。

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