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何かのためでなく、ただそれがやりたい。

何かをするとき、なんのためか、どんな効果があるのか、そういうのを考えてそのためにやるっていうのがよくある。
仕事だとそれしかないし、プライベートでもなんのためになるかとか考えてしまうことが多い。

なんだけど、ほんとはそうじゃないのがいいなぁと思う。

以前
「それはなんのためなの?」
って聞かれて、何のためとか関係なくただ好きなのにそれじゃだめなのかなぁと思ったことがあって。
何かするのは目的とか効果のためなのだ、と思われるのがいやなんだなと思った。
何かのメリットを求める人も多いだろうけど、そうじゃないところを大事にしたい。

ただ好きでただ興味があって、それが役に立つかどうかはそのあとだ、って感じで、それでよくない?
別に役に立たなくても、自分が好きで楽しくて、好奇心が満足して、それでよくない?

本を読むのがずっと好きなのだけど、いつからか楽しさが減ってしまった。
仕事をするようになって、何か役に立つものをと考えるようになったからだ。特に自分の仕事をと考えるようになってからは。

もちろん、情報とるためだけに読むっていうのが必要なときもあって、それはそもそも私の中では「本を読む」扱いでないのでいいのだけど、好きで選んだはずの本なのに、役に立つことを吸収しようとしてしまうこともある。
そのとき興味のある分野の本とか、好きなデザイナーさんの本とか。

ただ、内容に興味があって、ストーリーや考えに興味があって、作品が好きだったりして見るのに、無意識にそこから何かを学ぼうとしている気がする。
自分のセンスをもっとあげたいなとか、仕事に結び付けたいなとか。

さすがに小説とかまんがとかはただただストーリーを楽しむけども。

ほんとは、ただ、おもしろいなぁ、って読んでいたいのに。こんな考え方好きだなぁ、こういうのすごいなぁ、とかってシンプルに感動したいのに。

学ぶのも好きだけど、ほんとにただ興味があって、もっと知りたくて学びたくなったはずなのに、仕事につながるかもって思うと役に立てようとしてしまう。
役に立つこと自体は、それはそれでいいんだけど。

役に立てようとして見ていると、ただ楽しいなってだけでなくなってしまうんだな。役に立ちそうなところを効率的にとりいれようとか、どういうところはすぐ使えそうかとか、そういう風に見てしまう。

どう使えるかとか考えるのもおもしろいんだけど、ただ興味もって興味だけで好きなように聞くのと多分違って入ってくるのだと思う。
目的をもってしまったことで、目的以外のものをとらえられなくなっていそうで、それがなんかさみしく思う。

目的をもって、そのために効率よく何かをして、成果を出すようにして、って。
そういうのがいいと思われるけど、でもやっぱり私はそれだけだと楽しくない。
そういう風に考えてやってみること自体はおもしろい部分も多いけど、でももっと無駄に余計なものまで見て聞いて楽しむのがいい。

そもそも効率よくっていうけど、何が自分にいいのか、いろいろ見たり全体見たりしないとわからないよね?
余計と思われているところに、自分の好きなものがあるかもしれないのに。

何かを得るために、ではなくて、そのものを楽しむために、何かをしていきたいんだよな。
好きだからやりたくて、興味があるから知りたくて、それ自体に満足できるっていう時間を増やしたいなと思う。

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