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自己認識と他人の評価。

まぁまぁ長い間、
「基本しっかりしてるのに抜けてるところがある」
とか
「しっかりしてそうに見えるのにミスする」
みたいな評価をされてきていて、だから自分でも、そんな「できそうでできない」キャラなんだな?と思っている。

で、だいたいは、結構抜けてるとかミス多いとか変わってるとかいうのは、そこそこつきあいある人で、初見ではしっかりしてそうとか言われてきたのに、最近はじめて会った人にもしっかりしてないって言われるのでちょっと危機感を覚えている。

まだ、知り合いから、「この人おかしいくらい迷うから」とか言って紹介されて、そうなんだなー、って見られるのはわかる。
知り合いから聞いたイメージ強いだろうし、迷ったりするのは事実だし。

でも、先日講座仲間で集まっていたときに、ワークをやっていた中で「しっかりしてるけど抜けてるって言われるんだけど」って言ったら、
「全然しっかりして見えないから大丈夫!」
って言われたりとか。
さっき話してて、道に迷うのはGoogle先生のせいだと言ってたら、
「そんな風に天然キャラなのうらやましいなぁ!
 かわいくていいじゃん!」
って言われたりして、えぇぇ!!!って思ってしまう。

しっかりしてそうと見られて、できることもできないこともひっくるめてあれこれやらされたり頼まれたりとか、できそうだと言われて苦手なのことの担当になるとか、それはそれで評価さがったりがっかりさせたりするので困る。
でも、できないって思われて、できるはずのことやできそうなこともしないままなのもいやじゃない?

あまりにも道迷うのと乗り過ごすのと乗り間違えるのとがあるだけで、それ以外はまぁまぁ正常なつもりなんだけど。
でも自分ではわからないだけ、認識できていないだけで、人から見えた自分が客観的には正しい。
人からの評価に合わせる必要もないけど、一致してる方が楽なことは多いと思う。

少なくとも、自分の認識と、人からの評価と、何がずれてて、それにたいしてどうしたいかというのは、わかっているのがいいと思うし。
自分が思うこうありたい自分の感じで、自分からも人からも見えていると嬉しいよね。
無理して合わせるとひずみがでるし、背伸びしすぎてもだめだけど、差異を認識して理想のイメージに調整したり成長したりできるといいなと思う。

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