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点と点をつなげられたとき。

たまたま話していて、つなげたかった点と点がつながったときの驚きと喜びといったら!!!

しばらく地味にテンションあがったまま、会話のところどころでかぶせ気味に話しまくってしまい(友達と話す時ならともかく、はじめての打ち合わせなんかで普段そんなことしない…)、すみませんすみませんと思いつつも、それだけ嬉しいんだな今、と思った気がする。

で、一晩明けてもやっぱりじんわり嬉しくその嬉しさを書いておいてみようと思う今。

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つながった!と思ったのは、小笠原和葉さんが創始されたPBMと、OD(組織開発)。
私の中ではつながっていると思っていて、つなげて論じてみたいと思っている。それぞれを学んだときからずっと。
つながってると思ってそのために動いている人がいるのも聞いていて。だからそれはそれで広まってほしいなと思っていたのだけど、自分でも自分の知っている人に伝える術をほしかった。もっと広がってほしいしそのために何かしたかった。

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最初に知ったのはPBMの方だったかな…?
和葉さんのマニアックさが大好きで、でも私はボディーワーカーでもないしクラニオとかは気になるけど使えるところないかなぁと思って、なかなかがっつり講座などは受けていなくて。それでも何か使えるかもしれない使えなくてもただ知れたらすごく楽しいだろうと思ったのが、和葉さんの集大成とおっしゃっていた、身体性や意識の話のPBM。

考え方を知りたい、という知識欲からはじまったはずが、どっぷりはまったのは、実際に体感して知ったからだと思う。
意識するだけで広がる感覚を。
とじこめていた、がまんしていた感覚が開くのを。

おこがましくも、私は感覚閉じているとかせばめているとか思ってなかったんですよね。きれいなものとかかわいいものとか大好きで、肌触りとか耳障り(音とか)すごく気になるしこだわるし、ずばぬけてよい感覚はないけど、視覚も聴覚も体感覚もそれぞれこだわるところめちゃくちゃこだわるので、衰えていないと思ってた。

いやなのをがまんしているというのとかも、自覚していて「いやだ」「違和感」をちゃんと感じたうえで理論で処理しているだけで問題ないと思っていた。感覚はあるけど理論で処理できて仕事としては問題なくすごせてえらい自分!くらいの気持ちでいた。

それをね、講座の中で話していたときに「大丈夫だけどほんとはすごくいやなんですよね」と言った瞬間、いやすぎて泣きたくなるほど耐えられなくなり、次の日には上司に実はいやだと相談し(それまでいやだけど対応できるから大丈夫ですー、って言ってた)対応のしかたを変えてもらえるようにするほどだったのでした。

感じている自覚はあっても、とめようとしつつがまんしつつ感じているのと、感じていいのだと自分に許可した上で(というか単にがまんせずに=自然に)感じるときの差ってこんななんだ!と。
意識があるところでもこれだけ差があるのであれば、無意識にがまんしたり当たり前になっていて感じていないのがあればもっともっとすごい差がでるだろう。
もっと自分の感覚使いきれたらすごいんじゃない?自分はすごくなるんじゃない?
ちゃんと人間が自分の感覚を自分の身体を使いきれたらみんなもっともっとすごいんじゃない?

PBMできっと理論としてそれを伝えてくれているのだろうけど、それを体感して実感してこれはもっと極めたいよね広めたいよねと思った。

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というのを学んでいたときに出会ったのが組織開発という考え方。
組織開発についてはきっと知っている人多いしググれば出てくるから省略するけども、初めて知ったとき、組織開発という「組織」をなにかするような言葉をしているけども、これは組織だけじゃなくて人間関係の話だと思った。関係性の話だけど、それ以前の単にシンプルな自分を見る・相手を見るという積み重ねの話。それが大きくなるとチームや組織を考えていくつくっていくものになる。

だからベースに必要なのは、どれだけ自分を相手をその場を感じて考えていられるかで、意識を向けることで感じられる感覚を持っていることで。
それはPBMでやってきたことだと思った。
ODの理論は理論で大事だけど、それを実践するためのスキルやツールもいいと思うけど、根底として自分が感じ取れる見れることが必要だ。感じ取れないことや見えないこと聞こえないことは、ないことになってしまいがちだから。単にコンテントやツールの結果の数字などにおさまるだけしか見れなくなってしまうから。コンテントや数字だけにあらわれないものは絶対あって、それも見て考えていくのがODだと思っている。

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だからそんなことも話したいなぁ広げたいなぁと思いつつ、目の前の自分にできることをやるのだけで手いっぱいでそれだけでも楽しくて、それ以前に本気で人を組織を世界をよくしたいと思う人たちと話せるだけでも楽しくて、ODNJの活動に結構どっぷりつかって2年くらい?

新しい出会いもあり、OD研究会の話を聞き、そこでも私が手伝えることがあるかなぁと思って、お手伝いさせていただく話になった。
この状況もあり打ち合わせなどができないまま数か月たって、オンラインでもちょっと話しましょうとなったのが昨日。

そこで今考えている企画のお話を聞いていたら「身体性」というので、小笠原和葉さんご存知ですか?って聞いてみたら、まさにその和葉さんの理論をやりたいのだと聞いて、おぉぉ!!となったのでした。

思いもがけないところでつながるものだ。
でも、つながるべくしてつながっている気もする。

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「組織開発(OD)」も、「身体性」の理論も、人の可能性を信じていて、人の力をより発揮させようとしているものだと思っていて、それがすごく好きなところで、かつ、根本的に通じると思っているところ。
専門的な定義なり理論なりみたら全然違うのかもしれないけども。

組織を、チームを、と考えるのであれば、それを構成する個をみないとはじまらないし、その前にまず自分がいるし、結局はひとりひとりの人を大事にするところから、ひとりひとりを見ていくところからで、そのうえで人の関係と複数人での力というのがのっていくのだと思う。

大きな成果などを求めて全体を見ていくのには全体として俯瞰視点は必要だけど、でもそれぞれのひとりひとりの幸せや求めていることを整えることがベースであるとも思う。
もちろん、個別ばっか見てて全体見えなくなってもだめだけど。バランスだけど。

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いろいろ変化していくときだけど、そういうときだからこそ、人の力が現れると思うし、人の力が大事だと思う。
しくみもシステムも必要だけど、それをつくるのも人だしね。
少なくとも今のところ、感じるのも考えるのも人にしかできないし。

ただ、そんなの関係なく、ほんとに基本で当たり前のはずの、最初にあるはずの、人というものが、何するにもはじまりだと思うし、自分の力を使って、まわりの人と一緒にさらに力を大きくしてっていうのはどんなときでも通じるベースだと思う。
力の現し方や使い方がその時代や場によって異なるだけで。

単に自分が好きで伝えたいだけだけど、でもきっと同じようにいいなと感じる人がいるだろうと思うから、自分のできることは少ないけども、ちょっとでも伝えたいし広めたいと思うのだ。

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