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導こうとするのは信頼していないから。

対話やワークショップやセミナーなどでのファシリテーションとかで、その場をコントロールしようとする人とか、人を支援するような立場で、相手を導こうとする人がいる。

なんなら、意識してコントロールしようとか導こうとか思うのではなく、そうするものだと思っているくらいの人もいる。

想いが強い人がそうなりがちだと思う。
相手に、こうなってほしい、こんなことに気づいてほしい、こんな学びを得てほしい、とか。
それがいいことだと思ってて、だからそこに達してほしくて。

こうなるといい、という想いが、だからそうなるようにしてあげたい、となって、誘導したり指示したり示唆したりとコントロールして思うようにしようというのにつながっているのではないかと思う。

いくらいいことであっても(と思っていても)それを押し付けるのがいいことではないのに。
その人にとってはいいと思うことでも、ほかの人にとってどうかはわからないし、相手が選ぶことなのに。
「いいことだ」という想いがあると、ときに暴走しがちだと思う。

よかれと思って相手のためだと思ってしているだけに、たちが悪い。
そうしない方がいいと思うこともないだろうし、そもそも無意識にやってて気づかないかもしれないし。
そして、コントロールしたり導いたりして、何かに気づいたとかわかったとか何かが得られたとか、わかりやすい結果がある方が相手も喜んでしまうことが多い。
なので、感謝されたりして、それだと嬉しいし、余計にコントロールや導くのが習慣になるんだろうなと思う。

でも、コントロールしたり導いたりするっていうことは、相手を信頼していないからだと思うわけ。

相手が自分でできると思っていないから、何かやってそうなるようにしむけなければってことになるし、自分が導いてできるようにしてあげようってことになるのだと思う。
自分でできると思ってる相手には、介入しないと思う。

できないよねって思ってたり、自分の力だけではうまくできないだろうと思うから、何か手を出さないとってなるんじゃない?

この人は絶対できるはず、って思ってたら、待てると思う。
相手ができるのを見守っていられると思う。

すぐできるとか、自分が思うようにうまくやるのとか、そういうのが大事じゃないよね?
自分でできるようになるとか、自らやろうと思ってやるとか、そういう方がずっと大事なのに。
信頼して待っていたら、そのチャンスがあるのに、コントロールしたり導いてやってあげてしまったら、そのチャンスを奪ってしまう。

だから、なんか、コントロールしたい感、導いてあげる感がある、場や人が苦手なのかもな。

コントロールとか導くって、上に立ってる先に立ってるという認識だからそう思えるのでしょうと思うし、それは対等ではないから。

そう感じて自分は苦手なのだけど、でも苦手でそうしたくないと思っていても、それでもきっと、こうなったらいいなって思っているときに導こうとしてしまっているのだろうと思うし、無意識にそうしてしまうのが怖いなと思う。

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