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夏休みの宿題ってどう思う?

夏休みの時期になると、本屋さんに課題図書とか自由研究の本とか自由研究キットみたいなものがおかれるのを目にすることになる。
なんかいつも、その光景にもやっとするんだよな。

もやっとする理由のひとつは、きっとすでにいろんな人が言ってることだとは思うんだけど、夏休みの宿題が親のタスク化していること。
小学校低学年とかがひとりでやるのにはとうてい無理な内容が出るじゃん?っていう。親ががんばる宿題になるし、だから親が少しでも楽になるように、感想文とか作文の書き方みたいなのとか、自由研究の事例集とかキットとかが出ているのだろうし。
親があれこれ手出し口出ししたり、協力したりして、なんか型にはまった作品が出てくることになんの意味があるんだろう?って思うし、親がどれだけ協力できるかで宿題の差が出るのもなんだかなって思う。
(もちろん、子供自身が自分でがんばる子もいるし、何も参考にせず自分で考えてやる子もいると思うけど。)

私が子供の頃でも、うちの子供たちの頃でも、似たような感じだと思うし、なんとなくマニュアル化やタクス化は進んでいるように感じてしまう。逆に便利になっているわけでもあるけども。

で、もやっとすることのもうひとつ。
これは自分が子供の頃から思ってたんだけど、なんか、夏休みの宿題って、好きだったものが楽しくなくなったりするよな、って思って。

たとえば、本を読むのは大好きなのに、課題図書とか決められてるのがいやだった。まぁ別に課題図書でないの読んで感想書いても問題ないのだけど。
感想文書くからっていう理由をつけてたくさん本を読んだりもしてたけど、ただただ本を楽しく読んでるのと違って、感想文書かなければいけないって思うと、書くために読もうとしてしまう。読みながら、これ感想文書けるかな?って考えてたし、この本で感想文書こうとなんとなく決めたら、印象的なシーンとかでここ書こうかなって考えたりしてしまって。純粋に楽しめなくてもやっとしていた。

で、本来感想なんてそれぞれ自由だし、おもしろくなかったとかわからなかったもかもありなんだけど、感想文だとそんなわけにはいかないし。たいした感想ないことだってありうるのに、原稿用紙3枚とか5枚とか書かないといけない量が決まってて、こんな書き方がいいとかもあったりして。
感想なんて自由なのにさ!って思いつつ決められたように求められているように書くのももやっとしたし、それができてしまう自分にももやっとしてた。
で、文集にまとめるとかコンクールに出すとかのときに、直されるのもいやだよね。自分の感想なのに人に直されるってなんなのって思う。

そもそも、感想とかいう個人の感性の部分を評価しようとするのがいやだし。
感想文だけでなくて、絵とか工作とかも同じなんだけど。
何を書くかとか何をつくるかとか、自由じゃない?何書いても感想は感想だし、絵は絵だし、工作は工作じゃん?
いろんな感性があって個性があって、どんなものもそれぞれいいはずじゃない?
それが優劣つけられるとかがすごいいや。
子供同士のお互いの作品への好き嫌いでの評価みたいなのはいいんだけど。それは感想だし好みだし。
一部の大人の基準でどんなものがいいどんなものが求められるって決められて評価されて、それに沿うようになんとなく誘導される感とかがすごくいや。


結局私は、自由なはずのものが型にはまっていくのとか、自由でいいのになんか基準が決められ評価されるっていうようなのが苦手なんだと思う。
人それぞれの自由さをつぶす気がして。

別に夏休みの宿題だけが問題ではないんだけど、一見自由度が高いだけにもやっと感も大きいのだと思うし、毎年見かけていつもそんな感じなのががっかりするんだと思う。

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