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#70 ワイナポトシ登頂記-6

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

間もなく、マツノスケ君達のペアが登ってくるのが見えてきた。わたし達が登ってきたのと反対側の道だ。そこで初めて気づいた。
「あぁ、わたし達はノーマル・ルートを外して、下山ルートを登ってきたんだ…」

そう、ワイナポトシでは、頂上までの最後のナイフ・リッジ(ナイフの刃のように尖った・切り立った状態で、右も左も谷へ落ちているような幅の狭い尾根・岩稜・雪稜) が有名。頂上まで数十m続く、ひと一人がようやく歩ける幅30cmとも50cmとも言われるこの道が最後の難関で、万が一足を滑らせたりしたら、まさにひとたまりもない。この手前まで来て恐怖に陥り脱落してしまう人や、ガイドから「君には無理だ」と撤退を言い渡されてしまう人もいる、と聞いた事があった。

下山ルートも急な段差が激しくて、最後は両手を使ってよじ登るようにキツかったけれど、ナイフの刃のような崖ではなかった。

「最後の方のわたしの体力を見て、ナイフ・リッジの登りは無理だと判断されたんだろうか…」という思いが頭をよぎった。
「そうだとしたら、ラティーナに申し訳ないことをしてしまった…」

スペイン語のわからないわたしには、所々でなされていたパオリーノとラティーナの会話の内容は全くわからなかったので、もしかするとラティーナ自身が下山ルートを登る方を望んだのかもしれない。経験豊富そうな彼女が自ら望むとは思えなかったけれど…。
いずれにしても、今さらそれを確認することは無意味だと思ったので、真相は今でもわからない。

とにかく、ガイドによってはちょっとでも危ないと判断したら、強制下山を言い渡す人もいると聞いていたので、時にはわたし達を叱咤激励し、ルートを変更してでも頂上まで導いてくれた責任感あるパオリーノに、感謝の思いでいっぱいだった。

頂上に居たのはわずか30分弱。次々と後のグループが登ってくるのと、太陽が高くなるにつれて温度が上がって雪面が不安定になってくるため、早々に下山を開始した。
5時間かけて登ってきた道を、途中で尻滑りなんかもしながら(滑るというか、パオリーノにザイルを引っ張られて引きずり降ろされる感じだったけれど…)、約2時間半でハイ・キャンプまで下りきった。

ここで誰もが一眠りしたい気分だったけれど、それをガイド達は許してくれず「いったん寝てしまったら起きれなくなるぞ!」と言って、30分程で荷物をまとめ、すぐにベース・キャンプまでの下山を開始した。

わたしにとっては、これが最後の大きな難関。
再び例の50リットルのバックパックに全てを詰め込んで、背負わなければならない。今回も暑いのを我慢してできるだけ着込もうとしたけれど、パオリーノからウエアは脱いでバックパックにしまうよう指示されてしまった(もはや、彼には逆らえない…)。

行きも、砂利道は不安定だったけれど、下りはその比じゃなかった。
だいぶ底のすり減ってきているわたしのスニーカーは、細かい砂利の斜面で半端じゃなく滑るのだ。ズルッとなる度、冷や汗をかく…。またしても、どんどん皆から遅れるわたしの後ろについてくれたパオリーノが、何度転びそうになったわたしを支えてくれたかわからない。後半はわたしのあまりの滑り具合に呆れて、ずっと手をつないで、少しでも安定する道を指し示しながら、一緒に歩いてくれていた。

最後までわたしの名前を呼んでくれることはなく「ハポネス(日本人)!」のままだったけれど、まるでプライベート・ガイドのようにつくしてくれた彼に、感謝の言葉も無い。

皆から30分ほど遅れてベース・キャンプに到着した時、ラティーナがビール瓶を片手に迎えてくれた。笑顔でそれを受け取って、その場でラッパ飲み。

あぁ、ついにサヴァイブできたんだ。 わたしのチャレンジは終わった。

夜が明けると、頂上に続くナイフリッジを登って来る人々の列が見えた
スパルタだったけど頼もしかったガイドのパオリーノ
登頂してラパスに戻ったら必ず食べよう!と思っていた屋台のデザート

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