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#85 一番好きな国

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

「今まで行った中で一番好きな国は?」
この質問、本当によくされる。旅中に出会った旅人からも、日本へ一時帰国した時に友人達からも。

この質問に答えるのは、かなり難しい。そして一つに絞るのは絶対に無理だと思う。 だからわたしにとってコロンビアが ”唯一の一番好きな国” というわけではないのだけれど、南米の最後に訪れた国ということで、特別に思い出深い国になったことは間違いない。一時帰国を決めた時、エクアドルからすぐに飛行機に乗ってしまうこともできてけれど、南米を去る前に「ここだけは絶対に行っておこう」と思う国だった。

あまりよく知らない人にとっては「危険な」イメージのある国だと思う(マフィア、麻薬の密売、誘拐、テロ、強盗 etc.)。 凶悪犯罪が日常茶飯事だったひと昔前とは違って、今はずいぶん治安が良くなってきていると言われているけれど、残念ながら南米の他の国同様、スリや置き引き・ひったくりなどの盗難被害にあった話を山ほど聞くから「誰にでもお勧めできる安全な国」でないことは確か。一方「人が優しくてフレンドリー」という評判は、明るいイメージのラテン系の国南米の中にあってもコロンビアが随一だった。

サン・アグスティンという町から少し離れた考古公園にある遺跡を見に行った帰り、わずかなコレクティーボ代をケチってとぼとぼと歩いていたわたしを、通りかかったおじさんが「町までなら乗って行きな!」と車に乗せてくれたことがあったり、ヴィジャ・デ・レイバという町から遺跡を見にハイキングに行った時も、地元の人に道を聞いたら「ここからだと結構遠いよ」と言って、たまたま横を通りかかった全くの他人の車を呼び止めて「この子を途中まで乗せて行ってあげて」と頼んでくれた(わたしのかわりにヒッチハイク! )。

こういう時、どんな相手を信用して良いかの判断が重要であることは言うまでもない。万が一のリスクも負いたくない場合は、決して誰も信用せず、絶対について行くべきではない。その場の状況と自分の人を見る目の確かさを考え合わせて判断するしかない。

もちろん、今回のわたしはどちらの場合も危険な目にあうことがなかったのは、とても幸運だったのかもしれない。アフリカで何度か経験したような「Money!」と手のひらを差し出されることもなかったし。

イピアレスからポパヤン行きのバスに乗った時のこと。
隣の男性が果物を取り出して食べ始め、わたしにも分けてくれた。南米で何度も見かけたグラナディージャだ。気になってはいたけれど、まだ挑戦したことはなかった。その場で皮までむいてくれたので、恐る恐る口に入れてみる。見た目から想像していたのとは違って意外にさっぱりした味だった。この時ハマって、その後何度も朝食用に買って食べたのが懐かしい。

この男性アンドレスは、英語はほとんど話せなかったけれど、スペイン語を全く話せないわたしに構わず、わずかの英単語まじりのスペイン語でずっと話かけてきて、携帯に入れている家族の写真を見せてくれたりした。バスがランチ休憩でレストランに停まった時にも、わたしの分までしっかり注文して会計を済ませ、決して代金を受け取ってくれなかった。

わたしが身振り手振りとガイドブックを使って「サン・アグスティンに遺跡を見に行くつもりだ」と伝えると、おもむろにお財布からお札を取り出して渡された。何事かと思って驚くと、今は使われていない古いコロンビアのお金。そこにはサン・アグスティンの有名な石像が描かれていた。価値ある大切なモノなんじゃないかと思い「受け取れない」と断るも「いいから! いいから!」という仕草で、ためらうことなくそこに自分の名前をサインしてプレゼントしてくれた。

このあと実際にサン・アグスティンに行った時、バス・ターミナルの壁に大きく張り紙:
「Do not accept food or drinks from strangers in buses or terminals.」
「Do not risk being drugged.」
コレをを見た時には、この絶妙なオチに苦笑してしまった。

カルタヘナからサンタマルタに向かう乗り合いタクシーに乗った時のこと。
ボゴタに住む初老の女性ユリアが隣に乗ってきた。友人数人と休暇を利用して旅行中だと言う。日本人の女一人で南米を旅しているわたしを珍しがって、かなり流暢な英語で色々と質問してきた。

わたしがこれまでのルートやエクアドルで盗難に遭ったことなどを話すと、とても同情してくれてくれた。彼女も以前イタリア旅行中に盗難に遭って、とてもショックを受けたらしい。この後わたしが行く予定のボゴタについて「宿は決まっているの?」と聞くので「まだ決まっていない」と答えると、間髪入れず「わたしの娘の家に泊まりなさい」。驚き慌てて断ろうとするわたしをよそに、その場で娘さんに電話をして段取りをつけてくれた。サンタマルタに着いて別れる時には、携帯電話の番号と彼女達が泊まるホテル名を教えてくれて「ここに滞在中に困ったことがあったら、いつでも電話をして」「God bless you」とわたしの顔の前で十字を切ってくれた時には、トゥルカンからイピアレスの道中でわたしを救ってくれたアルマンドを思い出して、胸が熱くなった。

たまたまバスで隣の席になっただけの外国人の旅行者に対して、どうしてここまで親切にしてくれるんだろう?この感謝の気持ちと御礼を、わたしはどんな形で表現すれば良いのだろう?

たとえアンドレスやユリア本人に十分な御礼ができないとしても、今度はわたしがどこかで誰かに繋げていかなければならない。こういう経験をする度、いつもそう思う。

人の温かさだけではなく、南米の中でも北半球に位置するコロンビアに8月から9月頭にかけて滞在したわたしは、久しぶりに夏を味わい、鮮やかなピンク色に咲き乱れるブーゲンビリアに目を奪われた。なんとなくこれまで越えてきた南米の国々とは違う雰囲気で、山と谷が絶妙なバランスで奥行き感のある風景を作り出していて、バスの車窓からそれを楽しむのが好きだった。前述のビジャ・デ・レイバでハイキングをした時には「この景色に出会うためにここまで来たんだ」と久しぶりに胸が高鳴った。

その帰り道、小さなカフェで遅めのランチをとっていると、制服を着た学校帰りの女の子三人組がはにかみながら、それでいてひとなつっこい笑顔でわたしを取り巻いた。スペイン語で「どこから来たの?」「名前は?」と聞いてきたので(さすがにこの頃にはそれくらいのスペイン語はわかるようになっていた)それに答えると、うれしそうにずっと隣のテーブルに座って笑顔を向けてきた。その時たまたま持ち合わせていた千代紙で鶴を折ってあげると、わぁ! と歓声。さらに手持ちの千代紙の中から女の子の好きそうな明るい色のを選んで一枚ずつあげると、珍しそうにおでこの前に掲げで眺めていた。
食べ終わってわたしが帰ろうと席を立つと、一番年上らしい女の子が他の二人から千代紙を取って、わたしに返しに持ってきたので驚いた。思わず「あげるよ。プレゼントだから」と日本語で言うと、ビックリした表情の次の瞬間には満面の笑顔になり、三人で奥の部屋に「ママー‼︎」と叫びながら報告しに走って行った。ささいな事だけれど、この花のあふれる小さな町で、可愛く礼儀正しい女の子達に出会えたことがうれしかった。
旅中に出会ってほんの少し関わっただけの数人をもって、その国の人々を判断したり、語るべきではないのは十分承知の上だけれど、その数人が「◯◯の国の人」の印象に大きく影響するのは否めない。だから、彼女達にしてもわたしを通じてほんのわずかでも日本人に良い印象を持ってくれたらいいな。そう思った。
既に日本へ一時帰国するためのチケットをとっていたので、コロンビアに居た約3週間は、わたしにしてはかなりのハイ・ペースで移動した分「まだまだ時間が足りない」と名残惜しく思うことが多かった。きっとまたいつか訪れたい国リストの上位に入る国。

遺跡保護のために上から吊られた傘のおかげで、まるでトトロの世界だ
サンアグスティンのバス停に貼られていた注意書き
懐かしいグラナディージャ
懐かしいグラナディージャ
アンドレスがプレゼントしてくれたサン・アグスティンの絵が描かれている古いお札
カラフルに彩られたカルタヘナの街並み
少し涼しくなった黄昏時のサンタマルタのビーチ
少し涼しくなった黄昏時のサンタマルタのビーチ
サレントの町では大道芸が営まれていた
サレントの町では大道芸が営まれていた
リンゴをかじりながら歩くのが、気持ち良かったビジャ・デ・レイバの遺跡へ
カフェで出会った女の子達
ボゴダの広場の夕暮れ


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