ネガティブをポジティブに変換しない
無意識にネガティブな出来事や、感情をポジティブ変換装置に乗せて、前向きに捉える癖がある。自分の心でも、他者に感じたことでも、些細なことから大きなことまで変換装置には何でも乗せることができる。
ポジティブ変換装置に乗せることで、気分はあがるし、イイことも増える。よき代物。
とはいえ、多用しすぎると本音を見失うこともある。
ここ数年はポジティブ変換装置を逐一使わなくなってきた。
イヤだったらイヤ。辛かったらツライ。ダメなもんはダメ。そのまま受け取る。
これまた難しいのは、『そのまま』受け取ってるように思っても、私の癖としてはネガティブよりに受け取りやすいってこと。不安とか焦りが乗っかって。それも理解した上で、受け取っている。
それで。
この数週間でリクルートの同期に何人か会った。希少な時間で、会っておしゃべりするだけで癒される存在。
前からそうだったかというとそうでもなく、劣等感や卑屈さから会いたくないと思っていた時期もある。
そんな時期を越えてアップデートしたことは
ネガティブなところは、ネガティブなまま捉える。ネガティブで良い。
ってこと。
リクルートって会社は、ポジティブって背中に書いたスーツを着ているような集団と思われがち。あながち間違ってないのだが・・、ポジティブマシンなのではなく、ネガティブに捉えられるものは、そのままネガティブに捉えた上で受け止めることをしている気がする。
※リクルートって主語を大きくしたけれど、数少ない同期を見ながらの考察でしかない。
変換しない。
例えば、我が強すぎてワガママ言いたい放題の人がいたら、『芯が強く通った人』とはならず『ワガママ』と捉える。
ワガママなところあるよね、以上。
人間考察が好きな人が多いので、なぜそうなったのか、何が由来しているのかを喧々諤々話すことは好きだけど、必要以上にポジティブ変換していない。
因みに、私は必要以上にポジティブ変換して、イイ風に表現することが多いので、『ぶりっ子、八方美人』とか言われがち。確かにそうだなって思う、今は。
必要以上にポジティブ変換しない人たちと交わって、その中にいる時はポジ変換もせず、そのままでいるようになったら、無理をしなくなった。
ダメなままでもいいや。
って思えるようになったのが大きい。これはホントに大きなきっかけ。具体的には、気の利かない、役に立たない自分を他人に見せた上で、かつそれを受け入れてもらっていること。
ポジティブ変換器を使わなくてもやっていけるようになったきっかけ。
同期が集団になって起きることの一つは、コミュニケーションがドッヂボールになって誰も話を聞いてないってこと。コミュニケーションはキャッチボールだよねとかいいながら、ガハガハ笑って人の話なんて聞いちゃいない。
ダメなんだけど、まっいっかとなる空間。
たまに会うと、役に立たない自分でもいっかを思い出させてくれる。
今また必要な時だったので、忘れないようにしたためておこう。
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