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ただ観るだけの『観察』って意外とむずかしいね

保育園さまさまを痛感する、移行期間休暇の3日間。育児苦手~は相変わらずだけれど、前より娘と意思疎通ができるようになって、成長や楽しいといった手ごたえが感じやすいのも確か。

自分を整えるセルフコーチングで有効なのが『観察と瞑想』なんだけど、娘や夫という近しい間柄の人を観察するって、とっても難しいんだよね。

こうしたい!こうしてほしい!

といったコントロールが先に立つ(苦笑)

この3日間も自分のエゴを満たすために、娘を被写体に写真を撮りまくったり(だって可愛いんだもん)、何か行動したり、しゃべったりしたりしたら、『観る』じゃなくて、すぐ『思考する』。

見返り少女


写真を撮る時にすぐ「ピース!」と言いがちな私は、一所懸命ピースの練習をする娘を見てると、“はっ、こうして親の期待に応えようとする癖がつくのかっ”と焦ったり。

事実かもしれないが、どうせ撮ってるんだから、撮るときは、ただただ楽しく撮ろうよ、ともう一人の自分が言う。

言葉が増えていくのが楽しいのか、「バスきたー!ブーブー、黄色、(チュー)リップきれい」と常に指差し確認しながら歩いてる。

親のボキャブラリーが少ないと、子どももボキャブラリー不足になるかな?!私も語彙増やそう。とか、なんか純粋に楽しめてない自分がいて(笑)

子どもの成長は見守る(観察)だけでいい。
子どもの邪魔だけしなければ、ちゃんと成長する。

を信条にしてるはずなのに、実際子どもと向き合う時間が増えると、“あーしたい、こうしたい、こうしなきゃ”が、どんどん出てくる。

観るだけができないんだよね~

すぐスマホ触っちゃうのとなんか同じ。

だから、
思いっきり写真を撮るday!観察はしない。ごちゃごちゃ考えていいday!みたいにメリハリつけて、娘とは過ごそうかな、今は。

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