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安達が原

 いとこのサブちゃんは私より三つばかり年上で、お正月などにおばあちゃんの家で会った時によく遊びました。半ズボンに格子縞のベストを着ていたりして、いいところの坊ちゃん風でしたが、まあ普通の男の子でした。ある日叔父さんの結婚式で、周囲に促され、立って朗々と「タカサゴヤー、コノウラフネニホヲアゲテー」と謡いだしたのです、少しばかりだぶついた中学生の詰め襟姿で。びっくりしました。その時まで私は知らなかったのですが、おばさん、つまり父のお姉さんのお嫁に行った先は観世流のうたいの家元だったのです。サブちゃんはそのあとつぎだったのでした。
 二十歳のころ、少しばかりお能に興味が出たので、サブちゃんに頼んでお能の舞台を見に行きました。大人になったサブちゃんは後ろの方で紋付き袴ですまして座っていました。

 ところでその能の演目、「黒塚」というのですが、何やら布をかぶせたテントみたいなものが運ばれてきて舞台の真ん中に据えられ、布が除かれるとそれは荒く竹を組んだかごみたいなもので、中には白髪の老婆が座っているのでした。糸車を回しながら謡うのです。ああっと叫ぶところでした。蜘蛛の巣城だ!
 黒塚は、安達あだちが原の伝説をもとにしたものです。人里離れたその荒れ野に住んで旅人を招き入れ、食ってしまう鬼の話です。それを能の世界では、簡素な竹のいおりに住む白髪の老婆であらわしているのですが、それはまちがいなく、昔見た黒沢映画の一場面でした。

 「蜘蛛の巣城」。その映画を見た時私は六つかそこらだったでしょう。まあ怖かった! 竹藪の中で糸繰り車を回す白髪の老婆を、「浪花なにわ千栄子さんだよ」と母が言うのです。当時お笑い系の映画に出ていたお母さん役の優しそうな女優さんが、あんな怖い姿に? その頃見た映画はほとんどおぼえていないのに、その映画だけは、血のりのついた刀を持って闇に消え、また浮かび出てくる山田五十鈴いすずの白い顔、森が動き、城内に多くの鳥が舞い込んでくる場面、三船敏郎が矢ぶすまになる最後の場面などをいつまでも覚えていたのでした。

 その後蜘蛛の巣城がシェイクスピアのマクベスの翻案だと知り、子供向けの文学全集でマクベスを読みました。大人になってから戯曲の形でも読みました。映画の方は、父が撮りためたビデオの中にあったので繰り返し観ました。カエルの指やイモリの目、マムシの舌などが煮えたぎる鍋を囲む三人の魔女を、黒沢は安達が原の鬼女きじょであらわしたのでした。
 片膝を立ててやや下を向き、身じろぎもせず座りながら語る山田五十鈴の姿も、その歩き方も能の所作しょさ。血染めの壁を見つめて舞うように動く場面では、能のつづみの音が響いていました。

 そう言えば、黒沢の晩年の映画、「乱」。あれもシェイクスピアのリア王の翻案でした。城が焼け落ちたあとの荒野をさまよう盲目の少年は、能のよろ法師ぼしの姿です(十七歳の野村萬斎さん、狂言師)。
 能とシェイクスピア。黒沢映画の重要な要素です。
 
 洋画のマクベスと言えば、オーソン・ウェルズ監督主演のものが出色です。
 ヴァイキング風のよろいやかぶと、暗い城の通路の石壁に滴る水、マクベス夫人が吸い込まれて行く奈落。白黒画面が、蜘蛛の巣城をしのぐ無気味さでした。
 この映画のマクダフが、迫力があってカッコいいのです。ダン・オハーリー。「刑事コロンボ」で悪役をしていたりした、地味な名脇役です。少年が主役の西部劇のテレビドラマで、やさしいお父さん役をしていたりもしました。
 よけいなお話でした。


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