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わたしのせかいにも恋はない

『きみのせかいに恋はない』(伊咲ウタ著)は、”人を好きになったことがない”女の子チカが、大学進学をきっかけに、自分の性的指向を見つけていく物語です。
チカは、アセクシャル(アセクシュアル/Aセク)という言葉を受け入れながらも、自分がそのカテゴライズに相応しいのかと悩みながら、自分自身を見つめていきます。

性的指向とは、単に「好きなタイプ」の話ではなく、「自分とはどういう人間なのか」というアイデンティティ全般に関わる事柄なのだと、ひしひしと伝わってきました。

この作品は現在1巻まで、電子書籍のみでの刊行です。
続きが楽しみですね。

マンガという比較的ハードルの低い媒体で、アセクシュアルを真っ向から取り上げている作品にであうのはこれが初めてだったので、とても興味深く読みました。
女子同士の恋愛同調圧とか、すごくわかる…… あれってきついですよね、ほんとに。

チカが「アセクシュアル」という言葉に出会ってホッとすること同時に、「簡単にこの言葉に縋り付いていいのだろうか」と葛藤する姿には、共感を覚えました。
自分はこれでいいのだろうか、間違った認識をしていないだろうか。
その不安は、わたしも感じました。
作中でもあるように、「今の自分をどう表すか」ということ、「性的指向には揺らぎがある」ということ、変わる可能性もあること。
それらを全て飲み込んでようやく、「アセクシュアル」というラベルに落ち着いたと、私自身は感じています。
そして同時に、「アセクシュアルだからこう振る舞わなければ」という、自分勝手なプレッシャーを負わないように、というのも、注意しています。
ま、アセクのステレオタイプなんてのは世間様にはほとんどないので(そもそも認知されてないし)、外的プレッシャーはないに等しいのですが。

タイトルが「君の世界に」と、他者目線であることが、これから物語にどうか変わってくるのかが興味深いです。
これは、主人公のチカが「私の世界には恋がない」と言っているのではありません。
チカにとっては、恋はもともと存在しないというか、そのものの存在を認知することすらできないのだから、「◯◯がない」というのは難しい。
他者が「チカは恋を知らない」と認定することでしか、恋の不在を言い当てることができないのです。
チカの「自認」の物語でありながら、あくまで他者の認識に頼るところに、「不在の証明」の難しさを感じます。

この作品にしろ、わたしがアセクという概念に出会うきっかけとなった、『青春マイノリティー』にしろ、セクシャルマイノリティががっつりテーマとなる作品が出てきたことは、ありがたいことです。


今年のはじめに、投げやりな気持ちになって数人の友人にカムアウトしたのですが、その後のことを思うと本当にそう思います。
というのも、わたしはもともと人と頻繁に連絡をとるタイプではなくて、友人とも年に1〜2回会えばいいほうです。
なので、やけっぱちでカムアウトしたあと、話した人が一人しかいないんですよね。
何かあったときに味方になって欲しくてカムアウトしたくせに、アセクの愚痴に付き合わせるのも気が引けて、連絡をとらないまま、という状態が続いています。
人付き合いが下手といえばそれまでですが、つくづくカミングアウトはきちんと考えたほうがいいなあと思った次第。
手遅れですが。

それはともかく、エンタメのほうにアセクシュアルが出てきたのは喜ばしいことなので、いずれもっと年齢層が上の人が主人公のアセク作品が出てきてくれるといいなあと思います。
『きのう何食べた?』くらいのね、人生中盤〜後半戦くらいの物語が欲しいですよね。


そして今回も読みながら思ったことに、「ここにクリスチャンて枠が乗っかってくるから、面倒なんだよなあ」というのがあります。
「人を好きにならない」に対して「まだ運命の人に出会っていないから」や「なにか嫌な思い出があるからでは」という反応があります。
ノンクリスチャンの性愛者に対してなら、「じゃああなたは(性愛対象外の性)を試して見たことはあるの?」と返せるでしょう。
ところが、クリスチャンにたいして「同性を試してみたら?」と言っても、「それは罪だから」で終わってしまうんですよね…… (セクマイに理解のないクリスチャンの場合ですが)。
自分の性的指向云々の前に、「罪だから」でシャットアウトされてしまう感じ、どうにもきついです。
ことアセクに関しては、「まあ、罪ではないし」的な扱いをされるので、いいんですがよくないんですよね。

先にも書いた通り、性的指向とは「好みのタイプ」の問題ではなくて、アイデンティティ全般に関わることです。
信仰も同様に、アイデンティティ全般に関わることです。
この二つの整合性というか、折り合いがついていない今の状態は、わたしの精神衛生上とてもよろしくない。

そういう意味で、せめて大学時代にアセクと自認できていたら、もっと違ったんではないかな、と思います。
過ぎてしまったことを悔やんでもどうしようもないけれど。

信仰がからむと、なんだか愚痴っぽくなってしまうのがデフォルトですね。
これに関しては、いくら探しても論文も信仰書もでてこないので、当面は仕方がないことと思います。
比喩ではなしに、お先真っ暗。
指標となるものが全くない状態なので。

いつか、アセクの視点で聖書を読む勉強会などしてみたいものですが、どうやったらそういうのができるのかも、皆目検討がつきません。
なにかご存知の方、アイデアのある方がいらしたら、是非お声がけいただきたいです。


話が信仰のほうにそれましたが、『きみのせかいに恋はない』、続きも楽しみにしています!


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