見出し画像

連続テレビ小説「スカーレット」に学ぶ脚本づくり

円環

琵琶湖ではじまり、琵琶湖で終わる。

炎ではじまり、炎で終わる。

神話の英雄が故郷に帰還するように、喜美子は「はじまりの場所」に戻ってきました。連続テレビ小説「スカーレット」、ついに最終話です。

対比

「水が生きている」。器に波紋を描くことをひらめいた瞬間から、武志が旅立ってしまうことは予想していました。スカーレットが繰り返し描いてきた「対比」。「生きている」作品を遺して、武志は逝くのだろうと想像がついたのです。

「対比」は、最終話15分の中にも描かれていました。

画像1

大崎医師が、集中治療室で武志の手を握った自分の手を、喜美子に見せる場面です。ナレーション1行で知らされた武志の最期の様子が、唯一語られるシーンです。

抑制

武志の「生命」が移ったこの手が、これから器を作るんです。この作品は、武志くんと僕が一緒に作るんです。この作品にも命が宿るんです…。そんなドラマティックな台詞は一切ありません。ただ、両の掌を広げて見せる。

思えば、ドラマティックにできる場面こそ、さり気なく描くことに徹した作品でした。多くを語りすぎず、余白を残し、想像させる。

モチーフ

これは、ちや子さんが草間さんの手を握り、「私の元気を武志君に伝えてください」と言った時のエピソードとつながっています。空襲の時に離れてしまった直子と喜美子の手。「絶対に離さへん」と誓った八郎の手。「時々離した方がいい」と語った鮫島の手。料理を作る手、ものづくりをする手…スカーレットで繰り返し描かれてきた、「手」。音楽に繰り返し現れる「モチーフ」のように、リフレインするエピソード。

「愛がひらめきの源泉になる」というエピソードも繰り返し描かれています。喜美子への想いから作られた八郎の赤い皿、はじめてのキスの瞬間に思いついたコーヒー皿に咲く花。そして、真奈が忘れて行ったビニール傘から思いついた波紋の模様。

敬意

武志が去った後も続いていく人生が、ひとりひとりにあることが描かれます。鮫島の行方を追ったであろう直子。長崎に旅立った八郎。そこに訪ねていくという良き友人、信作。ママさんコーラスに挑戦するという百合子。家庭菜園で作った野菜を携えて、これからも喜美子に寄り添っていくであろう照子。

たった一行でもいい。誰ひとり、何ひとつ、取りこぼさないで回収していくこの丁寧さが、スカーレットの真髄だと思います。「絶対死なさへん」と言って宙に浮いてしまった喜美子の言葉も「エゴだった」という懺悔で着地させるとは、どこまで丁寧にやるのかと、おもわず畏怖してしまうほどです。逆に考えると、「出したエピソードは必ず完結させる」ことさえ守れば、脚本のクオリティは上げることができるということですよね。

最善のラスト

武志のために検査を受けてくれた人たちの中から智也くんのドナーが見つかる。武志のための検査が骨髄バンク設立につながり、他の誰かの命が助かる。昔、常治に助けられた草間さんが、今度は武志を助ける番に。

奇跡のような展開を願っていましたが、それは叶いませんでした。でも思えば、これが私たちの知る「スカーレット」なのです。

クライマックスに「みんなの陶芸展」を持ってきた構成は素晴らしいと思います。喜美子の人生に関わって来た人たちが続々と集まり、楽しそうに自分を表現する。生命というエネルギーを放射する。

画像2

映画「ラブ・アクチュアリー」のラストが小学校で行われる発表会であったように、交錯するたくさんの人生が一点に集中する「ハレの舞台」を作るというのは、覚えておきたい手法です。

誰かと競い合うわけではない。優劣もつけない。陶芸家も一般の人の作品も同列に扱う「みんなの陶芸展」。ひとりひとりの人生に敬意を払う「スカーレット」というドラマを締めくくるのに、最善のラストだったと私は思いました。

抑制の中のカタルシス

私は特に、発表会に至るまでの過程にうならされました。武志は「誰も自分の作品の前で立ち止まってくれない、誰も評価してくれない夢」を見て、それを喜美子に話すのですが、いざその日を迎えると、ジョージ富士川先生が武志の作品の前で立ち止まってくれる、という流れです。尊敬し、生きるよすがにしている芸術家が作品を見てくれたのです。もちろん、ジョージ富士川先生は、「これはすごい作品や!」などとは言いません。ただ、立ち止まって作品を見ているだけです。ここにも抑制が効いています。しかし、抑制を効かせるためには、前もっての丁寧な描写が必要なのです。つまり、「誰も立ち止まってくれない、誰も評価してくれない夢」の前ふりがあるからこそ、「立ち止まってくれた=評価してくれた」が視聴者の頭の中で結びつき、成り立つということです。誰が認めてくれなくても、自分だけは自分の味方。とはいえ、あの瞬間に武志は陶芸家として成功したのです。おめでとう、武志。

円環と永遠

ラストは、穴窯の炎を見つめる喜美子の顔のアップで終わります。ぐるっと回って最初の場面に戻ってきたのです。これは、神話の英雄譚と同じ構図です。

画像3

なぜ、円環を描く物語は、普遍的に美しいと感じられるのでしょうか。それは、円環が「永遠」に繋がるからではないでしょうか。身体という形は消えても、生命の「炎は消えない」。私たちは永遠の存在であるー。そんな普遍的な真理を表しているからこそ、円環を描く物語は黄金のように尊ばれるのでしょう。

半年間に渡り、類を見ないクオリティの朝ドラを視聴できたことを本当に幸せに思います。

noteに投稿してきたマガジン「連続テレビ小説「スカーレット」に学ぶ脚本づくり」もこれにて終了です。楽しい学びの日々をありがとうございました!

真木彩花

#連続テレビ小説 #スカーレット #朝ドラ #脚本

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?