雪の成人式と私のPC
天気が良かったのでPCの移行作業をした。3代目のMacBookAirの挙動が昨年の夏くらいからどうも怪しかったのだ。パートナーのMacBookProを譲り受けるかたちでデータを移し、ブックマークをインポートし、パスワードなんだっけ的な作業を粛々と行う。こういった作業は陰鬱な寒い日よりも晴れた休日の午後にやったほうが似合うと思う。かつてのブックマークから、当時の恋人との苦い思い出が蘇ってきても平気でいやすいから。
移行中、暇になったのでTwitterを見ていると、どうやら今日は成人の日であるらしい。アプリをダウンロードする待ち時間、ふっと記憶が過去に飛んだ。誰とも話すことなく、小さな小さなアパートで過ごした自分の成人の日。
* * *
やけに静かな朝だった。すりガラスの窓のむこうは奇妙に白く、それでいて陽光に輝いているふうでもない。足元から、襟元から否応なしに入り込んでくる冷気に身震いし、お茶でも淹れようと立ち上がったところでチャイムが鳴った。ドアを開けると大家のおばさんがいて、その背景は白とグレーに染められていた。
「これ、町内会の人から」
おばさんは私に小さな紙袋を押しつけ、私が返事をする前に「おお、寒い寒い」と紺色のコートの袖をさすりながら踵を返した。ドアを閉めて中を改めると、紅白の餅が入っている。この町に星の数ほどもある安アパート、無数に生息するひとりぐらしの大学生。何者でもない、平凡で埋没した存在。その自分の年齢を把握している人がいるのだという驚きはあったが、それがかすむほど興奮もしていた。人生で初めて見る、大量の雪。成人の日、東京に記録的な大雪が降ったのである。
アパートを出ると、雪は15cmほども積もって見慣れた路地を一変させていた。電線の上にも、歩道と道路を区切るポールの1本1本にも、墓場の卒塔婆の上にさえも、ちんまりと雪が積もっている。おそるおそる足を踏み出すとズボッとエンジニアブーツが沈んで、足底にギュッと雪が踏み固まった感触があった。ゆっくり歩いてターミナル駅に行き、西武に入ると営業時間短縮のアナウンスが流れている。夕刻を過ぎても街は街頭の光を反射して夢のように明るく、通ってきた道の靴跡にはすでに、うっすらと新しい雪が積もっていた。近所の駐車場を意味もなく歩き回って「ズボッ、ギュッ」の感触を堪能してから、アパートに帰った。
テレビをつけると、新成人たちが雪の中、式典に向かう様子が映し出されていた。朱色や緋色をベースにしたあでやかな振袖にふわふわの襟巻、美しく結い上げられた髪と華やかなかんざし。「足元が、もう、大変です」と困りながらもどこか晴れやかな表情の彼女たちを見て、履き古したジーンズにエンジニアブーツ、ウールのコートという出で立ちの今日の自分を思った。PCの電源を入れ、起動を待つ。
成人式はどうするのかと言う故郷の母に、私は「振袖はいらないから、PCを買って欲しい」とねだったのだった。ねずみ色で無骨なデザインの、重たいデスクトップ機を載せると、ひとりぐらしの小さなテーブルはそれだけでいっぱいになった。ディスプレイに表示される画像や文字はぎざぎざで、私はそれらを使って何かの文章を綴りたいと思った。しかし書きたい言葉などひとつも浮かばず、画面は真っ白なままで、私はただテレビから流れる成人式の様子をボーッと見つめていた。
「あのとき、振袖を着せてあげればよかったねえ」
その後の人生で、母は折に触れ何度もそう繰り返した。私が式を挙げない結婚をしたとき。その結婚が破綻し、貧乏でみすぼらしいバツイチとなったとき。長く付き合った恋人に、結婚してもらえず別れを選んだとき。そう呟く母の背中は普段より小さく、人生のなかで諦めざるを得なかったものがそっと降り積もっているようで、申し訳ないという気持ちが募った。私が望んだ人生ならば、母は心配はしても応援してくれた。それでもどこか「あのとき着物を着せてあげていたら、娘は幸福な人生を送ったのかもしれない」と思うのだろう。PCがいいと言ったのは私だとしても。母が振袖について何か言うたびに、私は「あのときPCを買ってもらえたから、今があるんだよ」と言った。何度でも言うんだろうと思う。
長い月日が経って、PCは冗談みたいに薄く軽くなり、すばらしい容量を持つものになった。あの頃夢見ていたように、文章を書いて生活するようにもなった。
成人の日、16平米の小さな部屋でうずくまるようにして見つめた真っ白なワープロソフトの画面と、テレビ越しに見た振袖の人たちを思い出す。みんながうらやましかったし、淋しかった。なにより不安だった。自信はもちろんのこと、そういう自分を変えようという克己心も夢を叶えようという野心もなくて、ただ何者でもないよるべなさを持て余すだけだった雪の日。私の心の一部は、今もあの日に置いてきているような気がするのだ。あたたかなリビングで、薄いノートPCを前にしていても。
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