あなたは、
「僕はぼんやりしているから、いけないところがあったら遠慮なく指摘してほしい」
そう言われて驚いた。私はその人と接していて、ぼんやりだなんて一度たりとも思ったことがなかったからだ。むしろ、私のことをいつも気にかけてくれている神経の細やかな人だと思っていた。私が悲しくないか、退屈していないか、元気でいるか、おなかをすかせていないか、仕事を溜め込んでいるのに無理して時間を作っていないかどうか、などなど。あまりにも細やかで、ときどき「ありがとう、でもそんなに気にしなくていいのに」と思うほどに。
過去のさまざまな経験からそう思うに至ったであろうことは、これまでの会話から想像がついた。「あなたはぼんやりしているから」に続く言葉を、たったひとりで受け止めてきたのだろう。全然関係のない困難すらも、もしかして自分のぼんやりが原因なのではないかと逡巡してきたのだろう。その人の細やかさは、悲しみや自責の念といったものに磨かれ、鍛えられてきたものなのかもしれないと想像すると、胸が痛んだ。
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「あなたは〜だから」は、占いでもよく用いられる文脈だ。生まれもった星を読み解きながら、ご相談者様の運命や本質を前提に、よりよく生きるためのヒントをご提案する。このとき、私はとても緊張してしまうのだ。あなたはこういう人だと言うことが、その人を踏みにじることになっていないだろうか。その人を頑なに小さくしていないだろうか。言葉で規定する以上は、枠にはめるということだ。ただその枠というものは、その人がその人らしく生きていきたいと思うものでなくてはいけない。その枠を踏み台に、さらに広げていきたいと思えるような。「あなたは〜だから」という言葉は、かようにも強い影響力を持っているのだ。
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「私はあなたがぼんやりだなんて、一度も思ったことはないよ。今まで誰に何を言われてきたかは知らないけれど、私はそうは思わないよ」
冒頭の言葉を言われるたびに、私は主張した。これからも、何度でもそう言うつもりだ。その人の思いを否定するつもりはない。あなたはそう思っているのかもしれない、でも私は思わないんだ。そう言いたいのだ。
私は小学校1年生から4年生まで、担任の教師から「あなたはブスだから、いじめてもいいし殴ってもいい」と言われていた。大勢のクラスメートの前で、毎日のように叩かれるのが常だった。あれからずいぶん時が経ったというのに、いまだに「あなたはブスだから」の声が脳裏にこだまする。繰り返し人格を規定される言葉というのは、骨の髄まで染み込んでその人を作る。人生でうまくいかないことがあるたびに「あーブスだもんな」と思ってしまう。行動のベースが「ブスだからこの戦略でいこう」になってしまう。それが認知の歪みであることはわかっているのに。だからこそ、私は誰のことも踏みにじらずにいたいと思うのだ。踏みにじられた側の人間として、できることがあると思うのだ。
2019年上半期の占いが本になりました。
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